『サラリーマン山崎シゲル』誕生はピース又吉の助言がきっかけ
苦労人のお笑い芸人、田中光の書いたシュールな一コマ漫画『サラリーマン山崎シゲル』(ポニーキャニオン)が、発行部数10万部を超えるヒットとなっている。大学を中退し、漫才師を目指して吉本入りするも人気を得るには至らず。その後、コンビを解消し、心機一転、東京へ進出してトリオとしてブレイクを目指すも、再び解散。「ダメだったら、地元の京都に帰ろうと思っていた」とラストチャンスとして位置づけていたピン芸人として、チャレンジだった1つの“1コマ漫画”がまさかのブレイクし、2014年の時の人になろうとしている。
少年時代から絵を描くことが好きだったという田中。「小さい頃から、落書き程度の絵は好きでした。中学の頃には、水彩画で文部大臣賞を獲ったこともあります」と、地元では知る人ぞ知る、画才の持ち主だった。高校時代になると、その腕を“賞金稼ぎ”に転用させる。「京都で、『Tシャツデザインコンテスト』があって、3万円とか5万円とかの図書券がもらえたんです。賞金稼ぎ的に応募して、3万円か5万円をもらいましたね」と、狙って賞を獲ることができたという。 その才能に磨きをかけるため、大学は芸術系を目指す。京都精華大学の版画コースに進学。「難易度の高いのが版画だったんで、版画にしました。版画が好きとか経験あったとかじゃなくて、ただ、尖っていましたね」と振り返るが、そんな大学生活も志半ばで大きく方向転換する。 お笑いにシフトしたきっかけは、「絵で評価されるのは楽しいけど、すぐにリアクションがない。お笑いはすぐにかえってくる。その直接の刺激が欲しかった」と振り返る。中学時代に影響を受けた、千原兄弟やジャリズムなどの“二丁目劇場”の印象もあり、大学を1年で中退し、保育園の同級生とお笑いの道を選択。吉本入りした。吉本への在籍期間は10年。M-1もキングオブコントにも出場した。2005年、2007年には、それぞれは準決勝まで出場したが、決勝の舞台には届かなかった。「芸人の中では、『準決勝までいったのは、すごい』って話になりますけど、普通のお客さんには見てもらえないですからね。決勝と準決勝は天と地の差でした」と、好成績もブレイクポイントにはならなかった。