『サラリーマン山崎シゲル』誕生はピース又吉の助言がきっかけ
10年間在籍した吉本を離れて東京で心機一転、再出発を目指す。「大阪の同期に誘われて東京で、トリオでやろうってことで上京しましたが、当時は、ただ焦っていました。おもしろいトリオだったと今でも思っていますけど、どうやったら売れるのか、が分からなかった。自分たちより、おもしろい先輩たちでさえ売れない。『やめて京都に帰るのか』、とか、『大学辞めているから、何をすればいいのか』、とか、『営業の仕事とか苦手だろうな』とか、そういうことも考えていました。上京したときの部屋の賃貸契約の更新日が2年でくるので、その更新日までに売れなかったら、辞めようと思っていました」と背水の気持ちだった。 そんな中、『サラリーマン山崎シゲル』でブレイク。そのきっかけは、ピースの又吉直樹の一言だった。「トリオの一人に難波君って子がいて、難波君が又吉さんと仲良かったんです。それで食事をご一緒させてもらったときに『特技を伸ばした方がいいよ』って、又吉さんに言ってもらって、絵を描くようになったんです。それまで、大学をやめてからは、ほとんど描いてなかったんですが、いろんな人に助言もらって、今の『山崎シゲル』の形になりました」と、振り返る。 また、ツイッターの仕様も『一コマ漫画』を作り出す理由となった。「ツイッターで公開していくことにしたのですが、当時のツイッターは画像が1枚しか貼れなかったんです。しかも、タイムラインが上から下へ流れるので、2コマとか複数枚だと、先にオチを公開しないといけないんです。だから、1コマで表現できる漫画を書く、という形にしました」と、まさに偶然の産物だったという。 ツイッターで話題になり、フォロワー数は17万を超えている。6月に発売された書籍も、出版不況をものともせず、10万部を超える大ヒットとなっている。「もともと絵を描くのが好きだし、小学校から中学校では漫画家になるって勝手に思っていました。だから、夢が叶ったかも。大友克洋さんみたいなマンガを勝手にイメージしていたので、ズレてはいますが…(笑)」と、笑顔を見せる。「ツイッターの反応はすぐ返ってくる。やっている手応えを感じやすい。RTが少ないと、『あかんかったなぁ』とか、アンケートをもらっているもんかもしれないです。お笑いを目指した頃、すぐにリアクションがもらえる刺激を、ツイッターを通じてもらえています」と、かつて、お笑いの世界に求めたやりがいをつかみつつある。 ■田中光(たなか・ひかる) 1982年2月13日生まれ。京都府出身。京都精華大学を中退し、吉本入り。同期にはピン芸人のエハラマサヒロ。10年間、吉本で活動後に現在所属のグレープカンパニーに移籍。一コマ漫画『サラリーマン山崎シゲル』(ポニーキャニオン)が発行部数10万部を超える大ヒットに。