美空ひばりから「お兄ちゃん、うちに遊びに来て」 昭和のスタア「宝田明さん」が生前に語った華麗なる交遊録…江利チエミが恋に落ちた高倉健の“仮病”
2022年3月14日、87歳で死去した俳優の宝田明さん。終戦後に満州から引き揚げ、高校を卒業した後に東宝ニューフェイスの第6期生として芸能界に入った。183センチの長身と秀でた容姿で早くから注目され、3作目の出演作「ゴジラ」(1954年)で早くも初主演。以後は若手スターの筆頭として、コメディやヒューマンドラマなどあらゆるジャンルの映画に出演した。 【秘蔵写真】ひばり、健さん、清川虹子さん…宝田さんが回想した昭和のスタアたち 華やかな雰囲気と「永遠の二枚目」ぶりは後年も変わらず、「イケオジ」という言葉が生まれる前の先駆者的存在でもあった。ミュージカルでの活躍や、91年まで務めたミス・ユニバースの司会、バラエティ番組への出演を覚えている人も多いだろう。そんな宝田さんが長い芸能人生で見た「業界の裏側」とは。 (全2回の第1回:「週刊新潮」2006年5月4・11日号「『原節子』『司葉子』『美空ひばり』宝田明が見た『女優の秘密』」をもとに再構成しました。文中敬称略) ***
三船敏郎とは「別の路線で」青春物へ
《宝田明は、昭和9(1934) 年4月に旧満州のハルピンで生まれた。28(1953)年に第6期ニューフェイスとして東宝に入社。29年6月に封切られた「かくて自由の鐘は鳴る」で銀幕デビユー。同年11月の「ゴジラ」の主演で一躍有名になった》 東宝もそんなに当るとは思ってもみなかったでしょうが、「ゴジラ」は驚異的な数をあげた。900万人が見たわけですよ。今だったら、100万人見たら凄いことになる。僕は割と早く役が付いたけど、「ゴジラ」でひとつのハードルを越えたと東宝も認めてくれた。 当時、1期生の三船敏郎さんは黒澤明監督作品の主役で、1年中、撮影に入っていた。共演者はみんな汚れ役になるから、「じゃ、宝田は別の路線で」となって、僕は青春物の主役をやるようになったのです。
3人娘の「憧れのお兄ちゃん」として
《当時、東宝のドル箱シリーズになったのが、歌手として人気絶頂だった美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみらと宝田が共演した青春映画。第1作の「ロマンス娘」(昭和31年8月)をはじめ、「歌う不夜城」(32年1月)、「ロマンス誕生」(同年5月)、「大当り三色娘」(同年7月)と続く》 ひばり、チエミ、いづみは、僕より3つ年下で、当時、19、20といったところですが、映画でも、僕が必ず3人娘の憧れのお兄ちゃんとして登場する。彼女たちとはよく遊びました。ひばりとチエミは超酒豪。彼女らも若いから、ウイスキーとかブランデーとか、1人で1本は空けますからね、一緒に飲むときはボトルが3本必要だった。いづみはジュースしか飲まなかったけど、それで彼女たちは平気で歌っていたのだから大したものです。 当時、ひばりから「お兄ちゃん、一度、うちに遊びに来て」と誘われたことがあった。横浜の磯子にあった「ひばり御殿」ですよ。明日も撮影があるからと断あっても、ひばりのお母さんからも、「いいじゃない、午後からでしょ」と。 それで乞われるままに行くと、立派なお家で、もう料理が用意されていた。お魚がね、家業が元々お魚屋さんだったから、こうズラッと食べきれないくらいに並べられている。その席には、ひばりのお父さんもいたんですがね。座って飲み始めると、お母さんが「宝田さん、焼き鳥が好きなんでしょ」と。