まさかの“まぐれ合格”してしまった有名名門小学校。共働き会社員夫婦が見た衝撃の懇親会とは?
平穏な日常に潜んでいる、ちょっとだけ「怖い話」。 そっと耳を傾けてみましょう……。
第75話 過ぎた背伸び【前編】
「それではここで去年の音楽会の様子を映像でご覧いただけます。生徒たちの心のこもった演奏をお聞きください。終了後は、上級生のお母さまがたがカフェテリアでランチをご用意してくださっています。懇親会では、どうぞたくさんのお母さまとお話なさってくださいね」 先生がお話を終えると、講堂の照明はいかにもドラマチックに翳り、荘厳な曲のイントロが流れ始めた。私はスクリーンのあかりで手元の時計をそっと見る。12時25分。土曜の午前中からはじまったこの保護者会は、どうやらランチまで拘束されるらしい。いくら好きで入った私立小学校でも、入学式以来2回目の保護者顔合わせ。1日がかりだと知っていたけれど、お昼くらいは自由に食べようと思っていたのに……。 薄暗い中で、ようやく周囲を好奇心に任せて見回した。隣のお母さんも、その隣も、全員が上級生の演奏の映像を食い入るように見ている。時折白いハンカチで涙をぬぐう所作までとってもエレガント。ここまで手入れの行き届いたロングヘアの母親集団を見たことがあっただろうか。 紺のスーツやワンピースは、よくみればそれぞれとてもデザインやカットが凝っていて、11月の入学考査の日のスーツとはまったく違っている。私だけが、あの日と同じ丸襟つきの野暮ったい紺スーツを着ていた。 この学校を卒業するまであと12年。一体何枚の「ネイビー装束」を買う必要があるんだろう? そら恐ろしい気持ちで、私は必死に演奏に集中するふりをした。
まぐれの恐怖
「小学校受験が激変!? 共働き激増により、伝統校にも働くお母さんが増えています」 「中学受験は過熱しすぎ……小学校受験のほうが子どもの負担が少ない可能性も」 「日本は先行き不安。海外で活躍できる人材になるため早期から国際的な教育をしてくれる学校へ」 娘が産まれて1年で仕事に復帰してから、週刊誌やWEBでそんな記事がとても目につくようになった。なんにもわからない私は、素直にそれを読んで、ええ、とかはあ、とかため息をついていた。 なんせ自分はそういう環境には縁がなかった。夫も私も地方の公立育ち。大学は私立に行かせてもらって、就職は東京。それでも相当恵まれていたというのが私の人生前半の感覚だ。 ところが、異変は同じ会社の夫と結婚して子どもに恵まれ、家事育児の時間を少しでも捻出するために通勤に便利なエリアにマンションを買った頃。あとで知ったが、そこは比較的教育熱心な家庭が集まるエリアで、保育園のなかでもお受験情報が流れていた。 「ねえ、女の子は今、小学校受験て結構お得みたいよ。中学受験はサポートしたからって勉強が得意じゃなきゃどうにもならないし、高校受験は内申点を取るのに苦労するっていうし、大学も選抜方法が増えてよくわからないし……。まだ私たちがコントロールできる小学校で、1回で受験を終わらせちゃうっていうのもいいんじゃないかしら」 上の子、梨々花が4歳になるとき、私は夫の悠人に持ちかけてみた。その前の年に、悠人がちいさな土地を相続して、駐車場にしたことが相当、大きかった。不労収入。月に十数万ほどだったけれど、共働きで世帯年収1200万円の我が家にこれが加われば、受ける学校を選べば小学校受験も可能な気がした。 「まあ、衿子がしたいなら構わないけど……オレは手伝えそうもないよ。だいたいそんなところに無理して入って、何になるっていうんだい? 小学校なんてどこでも大して変わらないよ、それより近いほうがいい」 まったく、悠人ときたら。ぼんやりしていて、ちっとも向上心や野心がないんだから。自分はお金でさほど苦労しなかったからといって、子どもたちが生きるこれからの社会はもっと過酷だ。手にできる武器は多いほうがいい。 父親は、母親ほどには子どもの将来を真剣に案じないものらしい。でも親が考え抜いてやらなければ、またこんなに無垢な存在が何を判断できるというのだろう。 ただ、悠人のいうことも一理ある。学校は近いほうがいいし、我が家みたいな庶民が高いお金を出すのだから相当のリターンがある学校にしたい。 そこで私は仕事の合間に必死でたくさんの学校を見学し、ふたつの小学校を志望校に決めた。いずれも国際教育や探究型学習に力をいれている比較的新しい学校で、働くお母さんのために学童のような放課後習い事タイムがあるという。親の出番もさほど多くないという評判だ。家からも電車と徒歩で2、30分。完璧だ。 第1志望と第2志望はすんなり決まり、それでもどちらかが受かると言えるほど小学校受験は甘くない。通い始めた大手のお教室では、第5志望くらいまで考えてほしいと言われた。 仕方なく頼れない夫に一応相談したが、彼は小学校の違いなんてとんとわからない。そこで塾の先生の意見もききながら、あとひとつひねり出した。しかし有効に使うべき受験日のうちの1日に、我が家に合う学校が見当たらない。 これは私にしがらみがなく、ある意味怖いもの知らずだったからできたことだと思う。私はそこまで深く考えず、大人気の名門女子校の名前を書いた。 ……頓珍漢な夫も、まったく受かると思っていないお教室の先生も、その学校を目指して必死でお教室を掛け持ちするママ友も、だれもそれについてコメントはしなかった。ダークホースな私は、誰かに止められることも応援されることもなく、そのまま直前期になった。 まさか、結末が「あんなこと」になるとは知らずに。