23歳の頃に「悪魔の囁きが、喉を締めつけ…」坂本冬美(57)の“封印してしまいたい黒歴史”とは〈36回目の出場〉
憧れの石川さゆりに背中を押され…
紅白初出場を知らされたのは、地方に向かう新幹線の車中だった。師の猪俣には両親とあわせて電話で伝え、帰京後、改めて自宅へ赴き報告する。このとき、「本番で泣くな。泣いたら歌にならなくなるからな」と語気強く言われたのを彼女は肝に銘じた。 本番の直前には、憧れの石川さゆりが背中をポンと押しながら「さあ、行ってらっしゃい」と囁いてくれたので、坂本はパニック寸前に陥ってしまう。おかげでどうやって歌ったのか記憶が定かでないという。師の教えどおり最後まで泣かずに歌いきったものの、袖に戻った途端号泣し、次の出番を待っていた桂銀淑(ケイ・ウンスク)までもらい泣きさせてしまった。石川には番組終わりの出場者全員による「蛍の光」の合唱でも隣でそっと手をつないでもらい、坂本のなかでいい思い出となっている。
ジャンルにとらわれず、ロックやポップスもカバー
坂本は演歌の王道を歩む一方で、ジャンルにとらわれない活動にも若手時代から積極的だった。紅白に初出場した1988年には、レコード会社が同じ東芝EMIだったロックバンド・RCサクセションのアルバム『COVERS』にコーラスとして参加している(ただし、このアルバムは原子力発電の問題などをとりあげた収録曲が東芝側に拒否され、別のレコード会社から発売された)。RCの忌野清志郎とはその後も、細野晴臣も加えた異色のユニット「HIS」を組んでアルバム『日本の人』(1991年)をリリースするなど関係が続いた。 1988年10月に初めて開催した新宿コマ劇場での単独コンサートでも、持ち歌がまだ2曲しかなかったので、演歌界の先輩たちの曲ばかりでなく、松任谷由実やサザンオールスターズなどロック・ポップスのカバーも披露した。これが《直立不動で歌う従来の演歌と違い、走り回ったり飛び跳ねたりで、まるでロックのライブを見せられているかのようだ》(『サンデー毎日』1988年12月4日号)と評判をとる。ちなみにサザンは10代のころからファンで、内弟子時代もカラオケで桑田佳祐の歌真似をして声を嗄らしては猪俣に叱られていた。
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