感染症の文明史【第3部】地球環境問題と感染拡大 1章 人類が自ら招いた危機:(2)膨張する都市がもたらした悲劇
石 弘之
都市化は感染拡大に大きな影響を及ぼしている。途上地域ではスラムが広がり、感染症の温床となっている。先進国では暮らしやすい環境を求めて人口が都市に集中した結果、高齢化社会を生み出し、感染症での死亡者の増加を招いている。
急増する都市人口
人類は農業の開始によって定住化し、集落が発達するのにつれてヒト同士あるいはヒトと家畜が密に接触するようになった。集落の拡大によって自然破壊や環境汚染が進み、この結果、ヒトと病気の関係は劇的に変わったことが、古い文書からも類推できる。古代エジプトのヒエログリフ、『旧約聖書』や『新約聖書』、ギリシャ・ローマ時代の古典、中国の歴史書、インドの宗教書『ヴェーダ』などには、さまざまな病気が登場する。それらの記述から、結核、ハンセン病、コレラ、ポリオ、天然痘、狂犬病、マラリア、肺炎、トラコーマ、インフルエンザ、ハシカ、ペストなどと考えられる。 18世紀に英国で始まった産業革命によって、大都市に大量の労働者が流入し、これまでにない過密社会が出現した。彼らの多くは、農村から出てきた免疫を持たない人たちだった。飛沫(ひまつ)や空気によって感染を広げる呼吸器感染症の病原体は、人口密度の高い都市に適応したものだ。過去の大発生をみても、アテネ、ローマ、ロンドン、ニューヨーク、武漢、東京といった大都市や、軍隊、工場、学校、市場など人の集まる場所がウイルスの温床になってきた。 パンデミック(世界的大流行)の背景にあるのは、ヒトの都市への集中と移動の急増、そして高齢化である。国連世界人口白書によると、世界人口は1900年の16億5000人から2024年には約5倍の81億1900万人に達した。この間に、都市人口は2億2000万人から44億6500万人になり、約20倍に膨れ上がった。2009 年には史上初めて、都市人口が農村人口を抜き、現在では世界人口の55%が都市に住む。
グローバル化の弊害
現在、世界の都市人口は年間約6500万人ずつ増えている。地球上に毎年、東京都が4つ半生まれるのと同じだ。国連の予測によれば、今後2050年までに世界人口の増加分のほとんどが途上地域の都市に吸収される。そのとき、世界の都市人口の54%がアジアに、20%がアフリカに集中することになる。 近年も交通や物流の飛躍的な発達によってヒトと動物の広域移動が進み、動物由来感染症の世界的流行の引き金になった。国連世界観光機関(UNWTO)の調べでは、国際的なヒトの往来は、新型コロナの流行前の30年間で観光客数は約3倍の15億人近くにもなった。コロナ禍で1990年前後に逆戻りしたものの2023年にはほぼコロナ前の水準に戻った。特に毎回話題に上る中国の春節大移動は、2024年2月には延べ90億人を超えたといわれる。ただし、国家経済が順調だと誇示したい政府の「官製データ」という批判もある。 現在、世界の大都市は航空機や高速鉄道によってネットワーク化され、そこに何十億人もが住んでいる。2002年に中国から世界に広がった「重症急性呼吸器症候群(SARS)」によって、いかに世界がネットワーク化されているのかを思い知らされた。このシリーズの第1部で紹介したことがあるが、あえて再掲する。 中国の広州市の病院で働く中国人医師が、SARSに感染していることに気づかずに香港に出掛け、市内のホテルにチェックインした。その直後に気分が悪くなって入院した。客室にはその医師の吐瀉(としゃ)物が飛び散り、この客室を清掃したホテル従業員が同じ道具で別の部屋を掃除したためにウイルスが広がり、宿泊していた各国からの宿泊客16人が発病して病院に運ばれ、治療にあたった医師や看護師ら50人以上が感染した。海外からの宿泊客がそれぞれの本国にウイルスを持ち帰って拡散したことから、最終的に世界30カ国で8422人が感染、916人が死亡した。たった1人の感染者からここまで広がったのだ。