退任する落合GMが中日に残した功罪とは?
またトレードやFA戦略もことごとく失敗を続け、“ポスト谷繁”として、楽天の嶋基宏、西武の炭谷銀仁朗を調査したが、落合GMが幅を利かせる体質が嫌われた。今季も、横浜DeNAはNTT西日本から獲得した新人の戸柱恭孝が開幕マスクを奪い結果を残したが、中日がトヨタ自動車から指名した木下拓哉は、開幕から戦力にならなかった。明らかに編成の失敗が、チーム低迷に直結していた。 チームとのコミュニケーション不足も目に余った。谷繁監督が知らないところで選手の戦力外が決まっていたり、コーチ人事に関しても、谷繁監督の意見を汲みとらず、落合GM主導で決め、今季は谷繁監督が信頼していた佐伯貴弘の入閣を当初認めず、結果的に谷繁監督が白井オーナーに直談判して認めさせるような事態にまで発展。「ほとんど、あの人と口をきいたことがなかった」と、退任後に谷繁監督が振り返ったように、この2年間は編成トップのGMと現場トップの谷繁監督が会話をしないという異常事態に発展していた。 余談ではあるが、最年長投手として数々の記録を作った中日の“宝”山本昌の引退に際しても、永久欠番となっても不思議ではない「34」という背番号を簡単にルーキーに渡すなど、コストカットと同様に、情や思慮に欠ける“落合手法”への批判の声は徐々に強まり、人が離れていっていた。 監督時代には8年間でBクラスが一度もなく、4度の優勝を果たした落合氏は名将には違いなかった。だが、GMとなると、その素養はなかったといわざるをえない。 元西武、ヤクルト監督で、ロッテではGMも務めた広岡達朗氏は、かつて「落合も、現場の監督も責任に関しては同類。チームを強くするためにはフロントとコーチの役割が大きく、広島の成功を見れば明らかだが、フロントが、外国人、ドラフト、そして補強で戦力を整え、コーチが根気強く若手を育てなければならない。広島と比べてみると中日の問題点はよくわかる」と指摘していた。 投手コーチとしての手腕と、ドミニカルートなど外国人獲得に関する太いパイプを持つ森繁氏を監督としてチームに残したことが、落合GMの唯一の置き土産なのかもしれない。だが、落合GMがチームを去れば、ここまでのネガティブな要素がすべて好転するわけではない。この3年間の空白をどう埋めるのか。フロントの編成部門を誰が、どう立て直すか。チームビジョンは誰が描くのか、など。落合GM無き後の再建に向けて、中日が抱える問題は山積みとなっている。