大道芸人・ギリヤーク尼ヶ崎に魅せられた表現者たち(後編)
(ギリヤーク尼ヶ崎に魅せられた表現者たち・前編へ) ギリヤーク尼ヶ崎(本名:尼ヶ崎勝見)が街頭での芸歴50周年を迎える現在も、公演で掲げるのぼりがある。20周年記念にそののぼりを贈ったのは、俳優の近藤正臣さんだ。昨年から岐阜県の郡上八幡に居を移している近藤さんとの東京での再会の模様を、本稿の括りとしたい。
歩行者天国での出会い
1970年8月、故・美濃部亮吉知事(当時)らの提唱で、「歩行者天国」が都内で始まった。初日は銀座・新宿など4カ所で計80万人が繰り出し、道路中に歩行者があふれた。ギリヤークは翌週、新宿の歩行者天国に踊りに訪れた。 「変わったものを見たんだよ」。近藤さんはその日のことを、そう思い出す。 芸人が公衆の目前で白塗りの化粧をし、踊り出す。ところが踊りの途中、警官が止める。「歩行者天国は自由じゃないか!」そこにさっと飛び出して警官に食ってかかったのが近藤さんだった。近藤さんは偶然、踊りに出くわし、思わず足を止め見入っていた。
十数年ぶりの再会
互いの家が近く、それから30年以上の付き合いが続いた。ここ十数年ほど顔を合わせていなかったが、ギリヤークが50周年の知らせを送ると、東京で会うことになった。
「あのね、僕、10月で50周年になる」。87歳のギリヤークが切り出す。 「なんだかもう100周年みたいな気分だな」。干支で一回り年下の近藤さんが切り返す。
思い出すのは出会いの日。踊りの途中で警官に連行されたギリヤークを、釈放されるまで、交番の前で待っていた近藤さん。ドラマ『柔道一直線』で、俳優としての人気に火がついた頃のことだった。ギリヤークは「僕の母さん、近藤さんのファンだったの」と打ち明ける。交番を出た後、近藤さんから食事をご馳走になり、その後は、お互いの公演を見たり、自宅に招待されたりと親交を深めた。
「1万円札が、千円札を呼ぶんだよ」
ある時、ギリヤークが踊っていて、あれ?と思うと1万円札があった。 「誰だろうって見ると、近藤さんなの。そうすると周りの人もね、1万円札あると、10円ってわけにいかないの」「呼ぶんだよ」「触発されて1,000円札になったり、2,000円になったり。やっぱり近藤さんプロだなって」「後で返してくれって言おうと思ったんだよ」。冗談めかして近藤さんが笑うと、ギリヤークの口元も緩む。2人の思い出話は、あうんの呼吸で続く。