“吉田沙保里超えの133連勝”レスリング藤波朱理20歳はいつ覚醒したのか? 父が語る“最強”の育て方「強制したことは一度もありません」
涙ながらに訴えた「もっと強くして」
本人のやる気に任せる一方で、俊一さんには「放っておくのも、もったいない」という葛藤もあった。 「いまでもそうですけど、指導者として、どういうふうに仕向けるかというのも大事な話。だからいかにその気にさせるか。いかにやりやすい環境を作るかという部分に苦労しましたね」 試合に出始めたときは負けることも珍しくなかったが、俊一さんは朱理が小学校低学年のときに放った台詞をハッキリと覚えている。 「お父さん、(心に)火がついた。頑張る」 その台詞に偽りはなかった。朱理は小学3年生時に全国少年少女選手権で初優勝。その後、6年生まで同選手権で4連覇を達成した。 小学校の高学年になると、俊一さんは「朱理は筋がいい」と思うようになった。 「毎日大人が練習しても、うまくなければタックルに入れない。でも、朱理は相手の足に触るのがうまかった」 しかし、中学に入学すると、朱理はふたたび負け始める。土をつけたのは、パリで日本代表として一緒に闘う櫻井つぐみ(57kg級)や元木咲良(62kg級)だ。また、現在は50kg級で活躍する伊藤海も、大きな壁として立ちはだかった。 いったい何が原因だったのか。 「反応は早かったけど、体力がなかった。そこで壁にぶち当たってしまった」 父の前で、娘は泣きながら呟いた。 「もっと強くして」 俊一は大きく頷いた。 「それからわたしも娘も本気になりました」 とはいえ、当時の俊一さんはいなべ総合学園高校の教壇に立ち、放課後は同校レスリング部の指導をする身で、高校生の指導のあとは朱理も所属していた「いなべクラブ」の指導が待っていた。時間はなんとか作り出すしかなかった。 「高校とクラブの合間の時間を使って練習するようになりました。練習(時間)以外の練習ですね」 指導者目線から、当時の朱理に足りないものは体力だということはわかっていたので、すぐに体力作りに取りかかった。 「腕をとられたら振り回され、それでテクニカルで負けてしまう。だからマット練習前に走らせて下半身を強化しました」
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