「警察庁長官を撃った男」は筋金入りのプロ犯罪者だった あまりに特異な人物像を弟が証言
末弟は東大卒の学者だった
私自身(注・著者の鹿島氏)も、幼少の頃、養子に出たという、末弟に会った。この人物は、中村と同じ東大の理工系に入学した秀才で、ある分野で著名な学者として活躍している。中村はすぐ下の弟にはさほど自分からコンタクトをとっていないが、なぜかこの末弟には数年に一回くらいは連絡を寄こしたという。 「兄に最後に会ったのは、数年前です。何かの用事で東京に来た時に、ついでに連絡を寄こすというような感じでした。喫茶店などで待ち合わせて、話をしました。話といっても、本当に雑談、世間話のようなものです。別に何をお願いされるでもありません。ですから、兄がなぜ私に会おうとするのか、私自身、分かりませんでした。 とにかく、兄は居場所を知らせないので、どういう生活をしているのかも皆目、見当がつきません。だいたい、スーツにネクタイ姿のことが多かったですね。『どうやって、生計を立てているんですか』と尋ねると、『砂糖とか商品先物取引をやっている』と言っていました。 兄が名古屋の銀行強盗事件を起こし、捕まった時のショックは表現しようもありません。数十年前に警察官を射殺し、周りが大騒ぎになって、あれだけ父や母たち家族が苦しんだのに……、またか、という思いでした。あの当時、私たち家族は本当に大変な目にあったんです。 私は、兄と会っている時は、いつも妙に不安なものを覚えていました。別れ際に、兄に、『あれだけ親を苦しませたんだから、もう真面目に生きてくださいね。悪いことには手を出さず、真っ当に生活してくださいね』と言ったものです。兄は少し考える風にして、『ずっと裏街道を歩いてきたから……。真っ当な生活はできないよ』と小さな声で答えて、どこかに去っていく姿が印象に残っています」
拘置所での面会が実現し……
この時の取材チームの調査は広範にわたった。二人の実弟の他に、池袋や神戸の電話代行業者はもちろん、中村の父親が入所していた特養老人ホームの担当者や、その墓がある文京区の寺も記者が取材に回った。 名古屋事件の弁護士や、中村が先物取引を行っていた福井県の会社の担当者にもあたり、かつて警官殺しを起こした際、逃亡して潜伏した大阪のアパート跡地や車を解体した、兵庫県下の倉庫跡なども訪ね、関係者に話を聞いた。むろん、三重県名張市のアジトにも記者が足を運んだ。 結果、「週刊新潮」では、「『国松長官・狙撃犯』のアジトで発見された『犯行日記』」(2003年10月30日号)などのタイトルの記事を、2週にわたり、掲載した。長官狙撃事件と中村との関連性について初めて報じる記事だった。 その後、私は、代理となる弁護士ではなく、直接、中村と会って、話をしたいと考えるようになった。そこで03年11月、名古屋拘置所に赴き、中村本人との面会を申し入れたのである。緊張しながら、面会室で待つと、その小柄な老人は現れた。これが中村との一番最初の出会いだった。 *** 記者を前に中村は、意外な態度を示す。記事の中で触れていた別の事件への関与を否定しながらも、長官狙撃事件については思わせぶりな物言いをしたのである。その迫真のやり取りについては中編〈「私が撃ちました」 地下秘密工作員・中村が「国松警察庁長官狙撃事件」を自白するまでの攻防〉で。また供述の全貌は後編〈「警察庁潜入は簡単だった」 国松警察庁長官狙撃事件を自白した秘密工作員の語った犯行の驚くべき一部始終〉でお伝えする。
デイリー新潮編集部
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