「警察庁長官を撃った男」は筋金入りのプロ犯罪者だった あまりに特異な人物像を弟が証言
実弟の証言
そもそも私が、中村の存在を初めて知ったのは、2003(平成15)年夏頃のことである。捜査当局者への取材から、「警視庁刑事部捜査一課の捜査で、中村という男が長官狙撃事件の重要参考人として急浮上。捜査一課が水面下で壮絶な捜査を展開している」との情報に接したからである。 当時、私は、「週刊新潮」で、その件を記事にすべく、取材に奔走するチームの一員だった。中村の実弟は取材記者の一人に対してこう語っていた。 「兄はいつも一人で本ばかり読んでいましたね。子どもの頃、水戸で空襲の危険に晒(さら)され、一人、爆撃機から逃げ惑った経験があったらしいです。機銃掃射で狙われて……。死を思ったそうで、そういうものも人間を作るのに、何か影響しているのかもしれませんね。あの頃、兄は口癖のように、『日本はAボムで負ける』と言っていました。私は“Aボム”って何だろう?”と分からずにいましたけど、アトミック・ボム、原爆のことですね。まだ原爆の存在が一般の間で噂になる前から、兄はどこからか知識を仕入れていたようで、『Aボム』という言葉を繰り返していました。 頭でっかちで、運動はできないと思いますよ。ただ本当に頭脳明晰だから、両親、特に母親は将来を期待していたと思います。それがあんなことになってしまって……。 そういえば、高校の頃、自動車部に入っていましたね。そういうクラブがある学校なんて、あの時分では珍しいと思います。だから、自動車いじりとかは好きなんですよ。機械類には強いですよ。何の研究をしているんだか、分かりませんが、いろんな機械や工具を集めていて、外国から文献をとりよせ、熱心にメカいじりをやっていました。実家の兄の部屋は、工作機械や分解された機械類、工具が足の踏み場もないほど散乱し、また印刷機なんかも置いてあって、まるで海底の潜水艦の中にいるような塩梅(あんばい)でした。 他に趣味は何でしょうね。酒も飲まないし、贅沢(ぜいたく)は一切しません。多少、健康も考えて、ワインを少したしなむ程度ですね。質素で、それこそ1万円あれば、何ヶ月も暮らせそうな人間です。食事はカロリー計算をきちんとやって、必要な分の栄養だけ摂り、ムダに食べないようにしていました。それと、本人が昔、言ってましたけど、よく噛むんですよ。そうすると、栄養がちゃんと吸収できますからね。刑事さんに聞いたところでは、今でも拘置所の中でちゃんとカロリー計算をしているそうです。何においても緻密な人間なんですよ。 数十年前に千葉刑務所を出所してきてから、山形や秋田など東北地方の温泉に連れていったことがありますが、立派な高速道路が出来て、日本が様変わりしている様子を目にし、浦島太郎のような雰囲気で驚いていましたね。 女性関係はまったくないですよ。女には全然、興味がないんじゃないですかね。もちろん、結婚は一度もしていませんし、家庭や家族を持とうなんて、思ったことすらないはずです。 そういえば、うちは母親が、ある総理大臣経験者の夫人と縁戚関係にあるんです。母親の家系を辿っていくと、姪が大臣経験者に嫁いでいたり、また遠戚ですが、皇后陛下の美智子さまの正田家にもつらなるそうで、結構、“華麗なる血脈”なんだということを昔、説明されたことがあります。 兄と最後に会ったのは、1993年の父親の七回忌の時で、文京区内のお寺で顔を合わせました。なにしろ地下に潜っていますから、どこにいるのかも分からない。電話代行業者に伝言をしておくと、たまに連絡がくるときもあるという程度で、ほとんど音信不通の状態でしたね」