陰謀論と生成AIの時代──情報の真正性を見極める方法を美術史家の視点から考察
今の世の中で最も差し迫った問題の1つは、フェイク画像や加工画像が社会に与える脅威だろう。それは昨今のニュースの見出しからも明らかだ。画像生成AIが普及し、フォトショップなどの画像編集ソフトがますます使いやすくなった現在、コンピュータとインターネットを利用できる人なら、フェイク画像を作ることは不可能でなくなった。ここから生まれる潜在的なリスクは、美術品の偽造から経歴詐称、別人への成りすまし、政治的な意図を持つ偽情報拡散に至るまで多岐にわたる。だから、人を惑わす画像の危険性が膨らみ続ける時代に生きている私たち1人ひとりが、本物と偽物を見分ける術を身につけなければならない。 だが、本当にそうだろうか?
画像加工の炎上事例に見る真贋判定の手法とその限界
最近メディアが大々的に取り上げた事例は、フェイク画像の問題について多くの示唆を与えてくれた。それは、イギリスの皇太子妃が写っている写真が、王室をめぐる陰謀論者たちに格好の材料を提供した一件だ。 経緯はこうだ。ケンジントン宮殿はイギリスの母の日に合わせ、3人の子どもたちに囲まれたキャサリン妃の写真を公開。これは1月に皇太子妃が手術を受けて以来、初めて公開されたものだった。しかし、AP通信などの大手通信社は、写真の信憑性が疑われる点があることを理由に、まもなく画像の配信を停止した。これがさまざまな憶測を呼び、キャサリン妃は写真に加工をしたことを認めて謝罪。さらに、がんと診断されていたことを公表した。 こうした事実が明らかになる前、ジャーナリストたちはキャサリン妃の写真を詳細に検証し、画像が加工、あるいは捏造されたことを示す特徴を洗い出した。微に入り細に入り写真を検証する彼らの仕事は、美術史家である私が絵画を検分する作業と似ている。それは、デジタル画像の時代における鑑定眼と言っていいかもしれない。そして、そこから導き出された判断の手がかりは次のようなものだった。 ● 衣服や床などの模様のずれ ● 不自然なほど滑らかな肌 ● 異様に細長い手 ● 不自然な体勢 ● 空間的なゆがみ、平面の不整合 ● 反射や影の位置が合っていない ● 背景が全体的にぼやけている ● 物体が途切れている(たとえば、1本の杖が脚の前に表示されたり後ろに表示されたりするなど) ● 文字化けがある AP通信は、画像にこうした不審点がないかを調べる専門チームを立ち上げたが、公開されるニュース画像の真正性の審査は、全ての報道機関が標準的な業務として行うべきだろう。当然そのような審査に対する信頼は、それを行う報道機関が国家や企業、政治の影響を受けず、民主主義を守る強い使命感を持っていて初めて成立する。それに、上記のリストは今のところは役に立つかもしれないが、AI対策という点ではその場しのぎでしかない。なぜなら、次に挙げる3つのより大きな問題を考慮していないからだ。 1つ目の問題は、すべての画像はその出所が確かである場合に限って「価値を伝える文化財」として精査に値するということだ。「1924年の出来事の写真」が、2024年にデジタル技術を用いて捏造されたものである場合、その内容を吟味しても意味がない。2つ目の問題は、画像の真正性の評価が、訓練を受けていない市民ボランティアに委ねられている点。そして3つ目は、そう遠くないうちに上記のリストは時代遅れになってしまうだろうという点だ。 画像編集ソフトも、生成AIも、常に進化し続けている。最新技術に追いつこうとどれだけ努力しても、所詮は後追いに過ぎない。そうこうしているうちに新たな偽画像が出回り、社会に影響を与えるだろう。また、そうした問題以前にいまだ対処が遅れているのが、白人の顔を主としたデータセットで訓練された生成AIに内在する大きなバイアスだ。