あまりに大きな喪失感、中山美穂さん死去 歌手でミリオン連発、映画などで高い演技力も
女優中山美穂さんが6日、都内の自宅で死亡していたことが分かった。54歳。捜査関係者によると、自宅の浴槽で倒れている様子を発見した関係者が119番通報。正午過ぎに死亡が確認された。 中山さんは1985年(昭60)に「C」でデビュー。同年に日本レコード大賞最優秀新人賞に輝いた。NHK紅白歌合戦には88~94年まで7年連続出場し、中森明菜、松田聖子、小泉今日子らとともにアイドル歌手として確固たる地位を築いた。 92年に発売した「世界中の誰よりきっと」は、180万枚を超える自身最大のミリオンヒット。80年代デビューの女性歌手で、「ただ泣きたくなるの」(94年)と合わせて2作のミリオンヒットを記録したのは初だった。 女優としても才覚を発揮し、テレビ、映画の人気作品に出演。フジテレビ系の「月9」女王とも言われ、数多くの連続ドラマで主演を務めた。89年1月の「君の瞳に恋してる!」などフジの看板枠、月曜午後9時の連ドラ主演は7作品(女優で史上最多)、うち4作品は主題歌も担当した。 デビュー作品は85年のTBS系ドラマ「毎度おさわがせします」で、ツッパリ少女役を演じた。思春期の少年少女が「性」と向き合うことをテーマにしたコミカルな作品で、ドキリとさせるセリフや映像が話題となった。 同年12月公開の「ビーバップ・ハイスクール」で映画初出演。仲村トオルが演じる不良高校生らのマドンナ役としても名をはせた。同映画の主題歌「BE-BOP-HIGHSCHOOL」もヒットした。 女優として円熟期に入った95年には岩井俊二監督の名作「Love Letter」に主演。一人二役のヒロインを見事にこなして高い演技力を証明した。作品は日本だけでなく、韓国、中国などアジア圏でも高く評価された。 02年6月にはミュージシャンで小説家の辻仁成氏と結婚。04年に長男を出産し、公私ともに充実した生活を送った。結婚後はパリに移住し、芸能活動を休業。10年の主演映画「サヨナライツカ」で女優復帰した。 14年に辻と離婚した際には著書「美ST」(光文社)で、「数年前から考えていました。ただ子供が大きくなるまでは夫婦であるべきだと言い聞かせていました」などと語った。長男の親権については、譲ることが、辻に離婚を承諾してもらう条件だったとしている。 離婚を考える中、長年患っていた子宮筋腫の状態が限界に達し、「そのころに好きな人に出会いました」とも明かしている。「出会わなければそんな自分の状態に気がつかなかったかもしれません。それがきっかけで自分の人生を見直すことになりました」。相手の名前は明かしてないが、その人物が入院手術の手配、付き添いをしてくれたことも書き残している。 昨年に24年ぶりとなる全国ツアー「Miho Nakayama Concert Tour 2023 -Trois-」開催。今年も全国ツアーを続け19都市21公演を行った。2024年は、ドジャース大谷翔平選手が米大リーグ史上初の50本塁打50盗塁の「50-50」を達成。SNS上では中山さんの楽曲「50/50」が再び話題になった。同曲は、大谷の「50-50」が現実味を帯びはじめた夏ごろからトレンドワードに上がるようになった。 達成した9月21日には「中山美穂の『50/50』を聞いてお祝いだ!」「中山美穂以来の50-50」などの声が上がった。同曲は87年にリリースされた中山さんの10枚目のシングルで、作詞は田口俊、作曲は小室哲哉。女性の恋の駆け引きを、小室サウンドに乗せ、現在もファンの間で人気が高い楽曲だ。