川内優輝選手の同級生は、元全国チャンピオン! 早稲田大学時代は箱根駅伝で6区を走り、現在は指導者の道へ
大会前日にカレーを食べるルーティン
余談ですが、川内優輝選手は「大会前日にカレーを食べる」というルーティンがよく知られています。実はこれ、髙橋さんが由来なのだそうです。 「私は試合の時に、付き添いのメンバーを毎回変えていたのですが、とある試合の付き添いが川内君でした。当時、監督から前日に何を食べたいか聞かれたので『カレーです』と答えました。中学1年の頃から、良い記録が出た時の勝負めしがカレーだったんです。それまで焼き肉、すし、ラーメン、うどんなどといろいろ試した中でのカレーでした。カレーは刺激物なので本来リスクがあるのですが(笑)。『試合の前日はカレーって決めてるんだ』と言うと、川内君は真顔で『そうなんだ』と聞いていましたね」 髙橋さんと川内さんの母親同士も仲が良かったそうで、すぐに話が伝わったそうです。 「強い人はカレーを食べると本番も良い走りができる」ということなのか。川内選手は以後、レースの前日にカレーを食べることになったそうです。 4度の世界選手権日本代表やボストンマラソン優勝など、数多くの海外遠征を経験しているだけでなく、雨の中で大逃げを図った昨年のMGCなど、熱いレースを繰り広げている川内優輝選手。現状打破し続けているスタミナを支えている前日のカレーは、同級生である髙橋さんのルーティンがルーツでした。 「私の子どももいま、陸上をやっておりまして、髙橋家ではレース前日はカレーライスかカレーうどんです(笑)」。やはり、カレーには不思議な力があるのでしょうか!
早稲田大学では1年目に箱根駅伝6区出走
カレーの話から陸上の話に戻りまして……。春日部東高校卒業後は早稲田大学に進みました。小、中、高校と全国のトップを争ってきた髙橋さんでしたが、大学では結果がかみ合わないことが続きました。 大学1年の箱根駅伝は補欠の予定でしたが、急きょ、山下りの6区を走ることに。前日に出走が決まって箱根の急坂に挑むことになった髙橋さんは、区間16位でした。結果的には、これが最初で最後の箱根路となりました。 「2年生の時は腸脛靱帯(ちょうけいじんたい)を痛めて出場できず、3年生の時は4区の候補でしたが、年間を通して安定した実績が残せなかったということで外れました。そこで『安定感って大事』と思い、4年目は安定して走れるように意識しました」 4年生になる前の日本学生ハーフで、初めてのハーフマラソンながら1時間03分台の好タイムで走りました。ただ、髙橋さんにとっては衝撃の出来事がありました。「初めてレースで川内君に負けたんですよ。63分台で悪くないタイムだったのですが、川内君に10秒ほど負けまして。うれしさよりも、ものすごい悔しさを感じました」 高校時代は5000mのベストで1分ほどの差があった髙橋さんと川内選手ですが、当時学習院大学に在籍していた川内選手は関東学連選抜(現・関東学生連合)で箱根駅伝でも好走するなど、大学でコツコツと力をつけてこられたのでした。 スピードランナーの髙橋さんにとって、得意のトラックシーズンは1500mで関東インカレ8位、日本インカレ4位とともに入賞。東京六大学対校戦では、優勝も飾りました。夏合宿もきっちりと練習を積み重ね、安定感のあるところを見せてきましたが、箱根駅伝に向けた大事なレースとなる11月の上尾シティハーフマラソンではケガの影響で1時間07分台と失速。続く、早稲田記録会には痛みをこらえて出場し、10000mで31分以上かかった結果、メンバー入りを逃すことになりました。のちに疲労骨折が判明したそうです。 「初めて16人のメンバーに入れなかった大学4年目の箱根駅伝でした。16人に入れないと、その練習にも参加できないんですよ。小学校、中学校、高校と、今思えば輝かしい成績を残してきました。でも、それって周りの支えがあったからですし、選手になりたくてもなれなかった人たちが、みんなのためにサポートしてくれたからなんです。そういったことに気付けた4年目でした」 4年目の箱根では3区を走った同級生の竹澤健介さんへ、沿道から応援とタイム差を伝える役目でした。「身を乗り出して、ボードを見せて何秒差というのを大きな声で伝えましたよ。レース後に竹澤君から『一番よく聞こえたよ』と言われたのが胸アツでした。走れない悔しさもありましたが、箱根駅伝を迎える時にはそういう気持ちも晴れて、むしろ大学に貢献しようという気持ちでした」。大手町のフィニッシュ地点で、髙橋さんは笑顔でアンカーの選手を迎え入れました。