川内優輝選手の同級生は、元全国チャンピオン! 早稲田大学時代は箱根駅伝で6区を走り、現在は指導者の道へ
春日部東高校で川内優輝選手と同級生に
高校進学にあたり、全国の強豪校から声がかかった髙橋さんが選んだのは埼玉県の春日部東高校でした。髙橋さんのお姉さんが春日部東高校のソフトボール部で、ソフトボール部の副顧問が、陸上部の顧問もされていたそうです。ある日、顧問の先生とお姉さんの間で、このような会話がなされました。 姉「弟が陸上をやっているんですよ」 顧問「どれくらいで走るの?」 姉「1500mで4分くらいです」 顧問「!?すぐに連れてきなさい!」 顧問の先生もびっくりするほど速かった髙橋さん。お姉さんのご縁もあり、中学時代から月に1度ほどのペースで春日部東高校の練習にも通っていたそうです。 「当時、二つ上に森田圭祐先輩(のちに駒澤大学でM高史と同級生)がいて、この先輩たちがいるところで陸上ができたら楽しいだろうなと思いました」 そして高校の同級生には、あの川内優輝選手が! 全中に出場した選手も入学し「このメンバーが3年生になったら埼玉栄と勝負できるのでは」という希望に満ちあふれ、高校生活がスタートしました。 高校1年生ですでに1500mは3分53秒。2年生では当時の高2歴代2位の記録となる3分47秒88をインターハイでマーク。2年生でインターハイ6位となりました。 3年生になると高校生の枠を飛び越えて日本選手権に出場し、1500mでは3分46秒83をマークして6位入賞。インターハイでは1500mで2位(日本人トップ)に。予選が終わった後に体調不良となり、点滴を受け、翌日には奇跡的な回復を果たし、激走しました。 日本ジュニア選手権では1500mで優勝を飾り、高校でも日本一の称号を手にしました。トラックや個人種目では全国区の活躍を見せた髙橋さんでしたが、駅伝では3年間、埼玉栄高校を上回ることができず、全国高校駅伝の舞台には届きませんでした。 「川内(優輝)君が長距離ブロック長で、私が副ブロック長でした。先輩や顧問の推薦もあったのですが、川内君はケガが多くて苦労していました。いま思えば、ブロック長をやりながら、みんなを束ねなければいけないということに、過度に責任を感じていたのかもしれません。私は副ブロック長でしたので『現場は自分が守るから、まずはケガを治して、落ち込んだ顔を見せるな』と川内君に伝えてましたね」 高校2年の関東高校駅伝で7位に入るなど、翌年に期待がかかる結果も残せましたが、3年生の夏は大学受験の関係で早めに部活を引退する選手もいて、駅伝は不完全燃焼に終わりました。