〈未解決事件〉「死んだ姉がこの曲、好きで…」大阪西成女医不審死事件の遺族が今も歌う唄…被害者遺族として、人気バンドのボーカルとして、たゆたう心の軌跡
インパクトのある曲名と爽快で清涼感のある曲調で人気を博した、スリーピースロックバンド・モーモールルギャバン。ドラムとボーカルを担当するヤジマX氏には、アーティストとは別の、悲しい「過去」がある。実姉を「大阪西成女医不審死事件」(2009年11月16日)で亡くした、被害者遺族なのだ。音楽を通じて人々に活力を与える存在でありながら、いまだ解決に至らない事件の関係者という立場で今、思うこととは。 【画像】内科医として活躍しつつ、海外でも支援活動していた生前の祥子さん
「過労による自殺」から「殺人・死体遺棄事件」として受理
──まずはじめに、お姉さんがお亡くなりになった「大阪西成女医不審死事件」について概要をお聞きしたいです。 ヤジマX(以下同) 2009年に大阪市で発生した女性医師の変死事件です。変死した女医が、私の姉である矢島祥子(さちこ)です。姉は2007年から、大阪市西成区にある診療所で内科医として勤務しておりました。内科医としての仕事に加え、夜回りや労働者支援なども行なっていたと聞いています。 ところが2009年11月に、同区の木津川にある千本松渡船場で遺体になって発見されました。当初、捜査した大阪府警によって「過労による自殺」とされていましたが、私たち遺族の再捜査要求などによって、2012年8月に正式に「殺人・死体遺棄事件」としての刑事告訴状が受理されました。 ──ご遺族として「自殺ではない」と感じたきっかけがあったんですか? 不審な点がいくつかあったからです。姉の死因は溺死とされていましたが、司法解剖の結果、姉の肺には水が溜まっていないことが分かりました。これは、死後に水中に沈められた可能性を示唆していると法医学者も見解を示しています。 また、当然私たちは姉の遺体と対面していますが、その際、頸部に縄のような痕が残っていたことに違和感を感じました。 それから事件後、姉の部屋からは指紋がまったく検出されていません。日常生活をしていればどこかしらに姉の指紋があるはずなのに……。拭き取られたとしか考えられないんです。 ──生前のお姉さんは、どのような人でしたか? 私たちは4人きょうだいで、姉が下から2人目、私が末っ子です。姉にとって私は、唯一家族のなかで自分より年下で弱い存在という位置づけだったのかもしれません。そのためか、とてもかわいがってくれました。 姉は、一般的にみれば優等生タイプだと思います。高校時代は100名を超える吹奏楽部の部長を務めていました。ただ、完璧主義という感じでもなく、家ではその辺でうたた寝してしまうこともあるなど、けっこうフランクな人でした。 また、僕が2005年からやっているバンド、モーモールルギャバンのライブにも月に1回くらい足を運んでくれました。「パンティー泥棒の唄」という楽曲がお気に入りでしたね。「バカらしすぎて元気が出る」といって(笑)。 ──優等生だったお姉さんのイメージとは少し離れた、意外なお気に入り曲ですね。事件があったとき、一方でヤジマXさんもバンドマンとして非常にお忙しくされていたタイミングだったんではないですか。 そうですね。当時は、インディーズのデビューアルバム『野口、久津川で爆死』(2009年11月11日発売)が出た前後だったと記憶しています。 そのあと、2011年には数々の有名アーティストの登竜門的な存在である「スペースシャワー列伝 JAPAN TOUR」に参加させていただくなど、バンドとしても重要な時期でした。2012年にはZepp Tokyoでワンマンライブもしましたしね。
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