「奇跡の少年と呼ばれ…」「生き残ったことを素直に喜べず」福知山線脱線事故の負傷者と東日本大震災の被災者 2人の生存者が「命」語り継ぐ
■「一緒に命語って」東日本大震災で多くの犠牲者出た大川小の卒業生の元へ
小椋さんは宮城県石巻市を訪れ、一緒に命について語ってほしいと東日本大震災で被災した只野哲也さんに会いに行った。 只野さんは、東日本大震災の津波で児童・教員80人が死亡し、4人が行方不明となった大川小学校の卒業生。 只野哲也さん:津波に飲まれるというか、思いっきり(山の斜面に)叩きつけられて。 大勢の人に押しつぶされているような圧をかけられて、息ができなくなって、耳に水が入ってくる感覚があって、息ができなくて、気絶しちゃったんですけど。
■津波で家族・友人失った只野さん “奇跡の少年”に違和感
只野さんは震災当時、小学5年生。 津波で、妹、母親、祖父、そして多くの友達を亡くした。 震災直後の只野哲也さん:いつも学校に(写真を)持って行ってる。そしたら一緒に授業できるかなと思って。死んだと思えないよね。 いつも学校終わって疲れたなと思ってこれ(写真)見て、しばらくぼーっとしてると先生に怒られる。 自分は偶然生き残っただけ。 周りから“奇跡の少年”と呼ばれ、特別扱いをされることに違和感を覚えていた。
■小椋さんと只野さん「失われた命と向き合ってきた時間に共通点」
25歳となった只野さんは、震災遺構となった校舎で伝承活動をしている。 只野哲也さん:校舎の中では誰も亡くなっていない。助かった子どもたちも、亡くなった子どもたちも(校舎には)楽しい思い出しか詰まっていない。 なぜか校舎の前に献花台があって、皆さん献花台に手を合わせて、校舎に向かってお花をあげられるが、僕としてはなぜそこで手を合わせるようにしちゃったのか。 子どもたちのほとんどががれき・家屋の下敷きで見つかって、ご遺族の方が息子や娘をがれきの中から引き上げる体験をしたのはここなんです。 小椋さんと只野さんは、それぞれの経験から命の重みについて語り合いった。 二人は生存者として抱えてきた苦悩や、失われた命と向き合ってきた時間に共通点を感じていた。 小椋聡さん:彼の中にはいろんな葛藤があった上で、こんなに元気な姿で、みんなの前に出てるんだろうなと思うんですよね。 でも本当に自分が思ってることとか、このしゃべってる裏側に抱えている混沌とした怒りや妬みや、うまくいかないジレンマみたいなものっていうのは必ずどこかにあるんですよ。
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