南葛SC、浦和、ツエーゲン金沢…20日間で80万円、サッカーの輪で実現した能登半島支援。ちょんまげ隊長「関心の糸をつないでほしい」
ちょんまげと手作りの甲冑を身に付け、サッカーの国際大会で日本代表を応援する“ちょんまげ隊”は、被災地支援や貧困支援、障がい者支援をライフワークにしている。今回は能登半島地震のボランティアを現地で行った縁を通じて、ツエーゲン金沢の本拠地となる金沢ゴーゴーカレースタジアムのこけら落としに被災地の子どもたちを招待するバスツアーを実施。80人超が参加し、笑顔あふれる1日となったこの企画が実現した背景には、寄付やYouTubeの“投げ銭”機能、サポーターによる応援グッズの提供など、サッカーファミリーの温かい輪があった。被災地の状況とバスツアー実現の経緯について、ちょんまげ隊長の「ツンさん」こと角田寛和氏に話を聞いた。 (インタビュー・構成=松原渓[REAL SPORTS編集部]、写真提供=角田寛和/ちょんまげ隊隊長)
能登半島地震から2カ月。被災地の「今」
――年始に起きた能登半島地震発災後、ツンさんは1月7日に現地入りして活動を続けてこられたそうですが、現地には何回ぐらい行かれたのですか? 角田:今年に入ってからは3回行って、5回の炊き出しをしました。昨年5月に能登半島で起きた地震の際にも4回行ったので、この1年で(自宅のある)千葉から7往復しました。 ――炊き出しではどのようなものを提供するのですか? 角田:寒いのでアツアツの野菜たっぷり鶏鍋を提供して、デザートにはホットチョコレートやおしるこなどの甘味を用意しています。甘いものは、特に女性の皆さんに喜んでいただけますね。いつも長蛇の列ができるのですが、発災から3週間近く経った1月20日の時点で「温かいものは3回目です」と言われたのはショックでした。本来であれば公的な食の提供でおにぎりとかお弁当が提供されるべきですが、それもない状況でした。
――状況は、当初よりは改善してきているのでしょうか。 角田:まだ厳しい状況が続いていると思います。僕も自営業者なのでよく分かりますが、一部の被災地は焼け野原になってしまったので、人々は復興・復旧にどのくらいかかるんだろう?と不安だと思います。多くのメディアはセンセーショナルな写真や映像を使って「人も住めないような」というリードをつけますが、木造の家でも住める家は残っています。つまり、今はみんな避難所にいても、そこにはいつか帰ってくる人たちがたくさんいるということなんです。だからこそ、関心の糸をつないでいかなければいけないと思っています。 これだけ大変な地域には、通常はボランティアがあふれるんですが、震災から2カ月経った今(*)は人が少なくなっています。発災当初、渋滞などを避けるために県が「ボランティアは自粛してください」と伝えた刷り込みがあるんだと思います。今も七尾市など幹線道路の一部は朝夕は混むことがありますが、日中の渋滞はほぼないですし、通れなかった道路も今は通れるようになってきたので、今こそ支援が必要だと思っています。 ボランティアの皆さんは被災地支援経験がある方が多く、僕たちもこの13年間でのべ200回ぐらい行っていて「今が動くべき時だ」とわかるようになったので、ネット上のネガティブなアナウンスに左右されなくなりました。 (*)編集部注:取材日は2月25日 ――こういう時こそ、ネット上の意見だけでなく、経験者や被災者の声に耳を傾けなければいけないですね。避難所の様子はいかがですか? 角田:普通、災害が起きて1週間過ぎるといろんな物資が届いて、パーテーションや段ボールベッドが届くのですが、1カ月経ってもそれがない地域があることに驚きました。老若男女がみんな体育館の床に直で寝ていて、パーテーションがなく、プライバシーもないんです。断水が続いているので(編注:2月末時点)、トイレの後は自分で水を汲んで流しています。 ただ、僕がそれをネット上で発信したらすぐにお叱りを受けましたね。「現地で頑張っている人がいるのに、批判するのはおかしい」と。でも、声を上げないと改善されません。「今じゃなくても」と言われますが、数カ月経ってみんなの関心がなくなった時に僕が批判的なことを言っても、誰も見向きもしませんよね。 初めて災害を経験する被災者の方の中には、これが普通だと思ってしまう方もいますが、僕らは13年間でいろんな被災地に行ったので、比較して「さすがにこれは他の被災地と比べて圧倒的に遅いですよ」と言います。もちろんただの批判ではなく、改善しなければいけない点を伝えたいからです。