国内患者は300人の超希少疾患「採算取れない薬」の開発を実現させた患者の思い 診断から20年、「遠位型ミオパチー」の治療薬が世界で初めて承認
友理子さんは遠位型ミオパチー患者会の「PADM」を2008年に設立し、開発実現に向けて企業や行政などに直接訴えてきた。署名活動も実施し、200万人分にも達した。 友理子さんたちの熱意を受けて製薬会社ノーベルファーマ(東京)が「公的助成が得られるのなら」と協力を名乗り出た。複数の省庁などから資金面で助成を受けられることが決まり、東北大が中心になって医師主導治験が2010年に始まった。その後、米ベンチャー企業も参入し、海外での治験も始まった。 しかし海外での治験は期待した結果が得られずに米ベンチャー企業が撤退。再び大きな危機が訪れた。治験に関わった東北大学の青木正志教授(神経内科)は「開発断念の危機を迎え一時はダメかと思った」と振り返る。 それでもなんとか国内の開発は続けられ、治験では期待した効果が示された。昨年7月、ノーベルファーマは国に製造販売承認を申請。今年の2月末に国の専門部会が承認を了承。3月には正式に承認され、販売が開始されれば世界で初めて薬が登場することになる。
青木教授は「他の希少疾患のモデルケースになる」と評価する。精神・神経医療研究センターの西野部長は「この治療薬開発の最大の貢献者は患者さんたちだと思います」とたたえた上で「ただしシアル酸を補っても進行した症状を元に戻すことはできない。まだこの病気の治療としては最初の一歩でしかありません」と話した。 ▽生きてきた価値 友理子さんは、夫の洋一さん(43)と交際中だった学生時代に診断を受けた。別れを切り出したこともあったが、洋一さんはそばに居続けることを選んでくれた。育児などの日々の生活に加え、患者会の設立やその後の活動も夫のサポートを受けてきた。洋一さんについて「一緒に歩んでくれた欠かせない存在です」と話す。 友理子さんはもう病気が進行してしまっていて、新しい薬を使っても効果は得られにくいと思っている。それでも「これから病気になってしまう人の助けになれたら―」と患者会の活動を続けてきた。発症したばかりのころ、治療法がなくてつらかった。「そんな経験を次の世代の人にさせたくない」
好きな歌は福山雅治さんの「生きてる生きてく」。「この曲を聞くと自分の行動で少しでも後世の人に喜んでもらえるなら生きてきた価値があったのかなと思える」と話す。 患者会で一緒に歩んできた仲間の中には亡くなってしまった人もいる。故人をしのび、「みなさんのおかげでこの長い年月、前を向き続けることができました」と感謝の気持ちを語った。