「破壊」のないイノベーションという新概念
■ディスラプションなきイノベーションと成長 そのコンサートは2018年9月21日 の文字どおり美しい夜、ラスベガスの満天の星の下で「ライフ・イズ・ビューティフル」というイベントの一環として開かれた。主役はロック・グループ、グレタ・ヴァン・フリート、主催は音楽業界のベテラン、ジェイソン・フロムの新しいベンチャー、ザ・チャーチ・オブ・ロックンロールである。 ただし、コンサートとしては異色だった。従来のどのロック・コンサートとも一線を画していたのである。楽曲が流れ始めると、あたかも時が止まったかのようだった。オープニング・ノートが轟く中、その場の誰もが畏怖の念に包まれていた。言葉を失い、胸を打たれ、頬には涙がつたっていた。 観衆の多くは、その夜までロック・コンサートに参加したことがなかった。演奏開始と同時にまわりに合わせて身体を揺らし、多くの人々と同じように陶酔に浸る経験が、なかったのである。ではなぜ、あの夜はコンサートに訪れたのだろう。あのコンサートは何が特別だったのだろう。バンド、楽曲、それとも開催地?いや、いずれでもない。特別なのは観衆だった。 なぜなら半数が聴覚障害を持っていたのである。ただしこのコンサートでは、彼らも耳の聴こえる人たちと同じように音楽を楽しんだ。楽曲が奏でられているあいだ、聴こえる人たちだけでなく、聴こえない人たち、あるいはその夜まで聴くのに苦労していた人たちも、音色に合わせて身体を揺らし始めた。そして、その事実が実感されるにつれて、会場全体に瞬く間に笑顔が広がっていった。あの夜開かれたのは、米国、いやおそらく世界でも初の、聴覚障害者のためのロック・コンサートだったのだ。 これを可能にしたのは、ミュージック:ノット・インポッシブル(M:NI)である。M:NIの生みの親であるミック・エベリング、ダニエル・ベルカー、そして彼らのチームは、聴覚障害者のために世界初のウェアラブル振動触覚デバイスを開発した。シャツの上から着用するこの洒落た黒色のベストは、腰、首、肩の部分に24個の洗練された軽量バイブレーターを効果的に配置したフルサウンドシステムを内蔵し、アヴネット社の支援の下で製造された。ウェットスーツのベストに、サーファーが転倒してボードを失わないようにするための、サーフボードに付いているような足首バンドが追加されていると想像してほしい。バイブレーターは、楽曲のニュアンスや楽器音の強弱に応じて、振動の強さや周波数が変化する。 意外な事実を伝えよう。人間は実は耳で音を聞いているのではないことを、知っているだろうか。音の本質は振動であり、耳から脳に伝わるが、聴覚の効果を生み出すのは実は脳なのだ。このため、仮に転倒して打ちどころが悪ければ、耳が傷つかなくても聴力が失われかねない。エベリングと彼の研究チームは、「聴覚障害者の耳は振動を感知しないが、脳が振動を感知できるように、振動を取り込むための別の方法を見つけることができるかもしれない」と考えた。そして文字通り実現した。脳に振動を届ける媒体として、耳の代わりに皮膚を使ったのだ。 一般には、機能性の難聴者が音楽を鑑賞するのは不可能だと考えられていたが、M:NIはそれが不可能でないばかりか、可能なことを示した。米国だけでも、機能性の難聴者が100万人を超えると推定されている。彼らは外界の音からほぼ遮断されてきた。音楽が世の中にどれほどの喜びや楽しみをもたらすか、考えてみよう。 曲を流せば、幼児でさえも自然と身体を揺らして踊りはじめるだろう。M:NIを使えば、今や耳の不自由な人でもライブ音楽を堪能できる。M:NIは現在、ロンドンの音楽祭からフィラデルフィアのオペラ、ブラジル交響楽団、リンカーン・センターのサイレント・ディスコなどに至るまで、世界中に振動触覚関連の製品を提供し、聴覚障害者か健聴者かにかかわらずあらゆる人々に手を差し伸べている。彼らのキャッチフレーズは、「good vibes for all」(すべての人に心地よい振動を)だ。 ■ディスラプションな性質を持たないイノベーション 筆者らはM:NIのイノベーションについて考察した。これが漸進的なものではないのは自明である。いまやイノベーション分野の代表的な標語となった「ディスラプティブ」も当てはまらない。それどころかM:NIは、おそらく音楽を鑑賞できるなどとは想像もしなかった人々に、機会をもたらした。既存の市場や産業の侵略、破壊、代替のいずれも行っていない。ディスラプションなき創造を実現したのだ。 イノベーションの観点からM:NIは特異かというと、そうではない。今日では改めて考察の対象となることなどまずない、非常にありふれた存在である、メガネを考えてほしい。メガネが登場するまで、視力を持つ人々は近視にせよ遠視にせよ、見えにくさを抱えながら生活しなければならなかった。世界保健機関(WHO)が公表した『視力に関する報告書』(World Report on Vision)によると、世界で少なくとも22億人が視力の問題を抱えている※注1 。教室の後方の席からでは黒板の字を読めない近視の子供や、本を読むのに苦労する遠視の大人を思い浮かべてほしい。近視と遠視はいずれも、経済の一翼を担い生産的な活動を行うための学習や能力発揮を、大きく妨げている。ところがメガネをかけると、世界が新たな光の下に姿を現すのだ。まさか、草の葉が見えるなんて!黒板にはこう書いてあったの?どうりで授業が理解できなかったわけだ。勉強が以前よりずっと楽になった──。 メガネはかつてないチャンスをもたらした。M:NIと同じく、漸進的なイノベーションではなかった。新たな産業を創造したのである。ただし、やはりM:NIと同じく、ディスラプティブな性質を持つものでもなかった。既存の産業を破壊したわけでも、既存の企業に取って代わったわけでもない。成長、人々のための明快なビジョン、そして全メガネメーカーの多数の新規雇用を生み出しただけである。今日、この業界の価値は1000億ドルを超えている。考えてみれば、ディスラプションや代替をいっさい引き起こさずに生まれた産業は他にも数多く存在する。数十億人に上る貧困者のためのマイクロファイナンスもその一例である。 そこで筆者らは考えた。この20年というもの、「ディスラプション」はビジネスの鬨(とき)の声となっている──「これをディスラプトせよ」「あれをディスラプトせよ」「ディスラプトか死か※注2」。シリコンバレー、大企業の役員室、メディア、そして世界中のビジネス・カンファレンスといった場において、ディスラプションを求める声が鳴り響いてきた※注3。企業リーダーたちは、生き残り、成功し、成長するための唯一の方法は、業界、あるいは自社をさえディスラプトすることだと、警告を受け続けてきた。多くの人がディスラプションをイノベーションとほぼ同義と捉えるようになったのも、驚くに当たらない。 とはいえ、ディスラプションだけがイノベーションと成長への道なのだろうか。これは必然的に最善の方法なのだろうか。筆者らの研究や上述の事例が示すとおり、答えは「ノー」である。ディスラプションは話題の的かもしれず、たしかに重要性を持ち、周囲に溢れている。しかし、ディスラプションを重視するあまり、イノベーションと成長へのもうひとつの道はおおむね見過ごされてきた。ディスラプションと少なくとも同等の重みを持つと思われるその道とは、ディスラプションや代替を伴わない新市場の創造であり、筆者らはこれを「非ディスラプティブな創造」と見なすようになった※注4。非ディスラプティブな創造とは、企業の破綻、雇用の喪失、市場の荒廃を引き起こさずに、新たな産業を創出することを意味する※注5。これは、何もなかったところに新たな市場をイノベーションする、計り知れない可能性を秘めている。この市場創造型イノベーションの別形態とその仕組みをよりよく理解できれば、イノベーションの実現へのよりよい備えになるだろう。 こうして研究上の問いが浮上してきた。 非ディスラプティブな創造とは、科学や技術のイノベーションあるいはまったく新しい製品、どちらに関係するのか?それとも別物なのか?別物であるなら、地球上のすべての地域に適用できるのか、あるいは特定の地域、たとえば経済発展が遅れているためにディスラプトすべき産業がほとんど無さそうな、BOP(ピラミッドの底辺)市場だけに限られるのか。関連する問いとして、ある地域の社会経済ピラミッドの全レベルに適用できるのか、それとも特定のレベルだけに適用されるのか。これらの問いに対して筆者らが引き出した答えは、非ディスラプティブな創造は、発明や新技術を伴うイノベーションやまったく新しいイノベーションと定義するわけにはいかず、特定の地理的市場や社会経済レベルに限定することもできない、というものである。「非ディスラプティブな創造」は、過去に類例のない概念なのだ。 ※1 保健機関(WHO)『視力に関する報告書』2019年版参照。 ※2 グーグルトレンドによると、「ディスラプション」という用語の相対的な検索関心度は上昇を続けてきた。過去1年間で4倍になっており、この用語の普及度の高まりを示唆している。これは、クレイトン・クリステンセンによる破壊的技術とイノベーションに関する影響力ある著作によるところが大きい。クリステンセンの金字塔The Innovator's Dilemma: When New Technologies Cause Great Firms to Fail, Boston: Harvard Business School Press, 1997.(邦訳『イノベーションのジレンマ』翔泳社、2000年。増補改訂版2001年)を参照されたい。クリステンセンの理論は、ローエンドのディスラプションが大企業を破綻させるという観点から考案され、発展したものだが、一般に「ディスラプション」は、新しいものがローエンドとハイエンドの両方から既存市場とそこで事業を行う既存企業を駆逐するイノベーション現象を表すために、より広い文脈で用いられてきた。本書では、後者の一般的な意味で「ディスラプション」を用いている。ディスラプションが既存市場のハイエンドとローエンドの両方から起き、リソースの乏しい小企業と資金力豊かな既存企業の両方に端を発することを示す最近の研究については、本章の注12を参照いただきたい。 ※3 ディスラプションを称賛する企画は数多くあり、『フォーブス』が年次で発表するディスラプションのリストと、CNBCがやはり毎年公表するディスラプター50はその好例である。 ※4 筆者らが非ディスラプティブな創造の理論を初めて発表したのは、W. Chan Kim and Renée Mauborgne, "Nondisruptive Creation: Rethinking Innovation and Growth," Sloan Management Review, Spring 2019, 52-60.においてである。W. Chan Kim and Renée Mauborgne, Blue Ocean Shift―Beyond Competing:Proven Steps to Inspire Confidence and Seize New Growth. New York: Hachette, 2017.(邦訳『ブルー・オーシャン・シフト』ダイヤモンド社、2018年)の第2章も参照されたい。 ※5 非ディスラプティブな創造とは、創造された製品やサービスが既存の産業にとって非ディスラプティブであることを意味する。これは、企業ではなく市場との関係で定義される。たとえば、アップルがiPod、そして後にiTunesを発売したとき、いずれも同社にとってはディスラプティブではなかった。代替対象になるような自前の音楽再生デバイスも音楽小売事業も、持っていなかったのである。ところがiPodとiTunesはともに既存業界にとってはディスラプティブだった。片や携帯音楽プレーヤー業界を、片や音楽小売業界を、ディスラプトしたのである。アップルによるiPodとiTunesの創造はいずれも既存業界をディスラプトしており、非ディスラプティブな創造の事例ではない。
W. チャン・キム,レネ・モボルニュ