走行距離はわずか2190km 800台限定の希少なスカイラインGTS-Rがオートモビル・カウンシルに降臨
グループAレースのホモロゲーション・モデル
日本を代表する名車のひとつである日産スカイラインは、長きにわたって販売されてきたこともあり、10人いれば10通りのベスト・バイが存在しているといっていい。ある者はハコスカ(3代目)やケンメリ(4代目)あたりのクラシック・モデルがベストだと考え、またある者はR32(8代目)~R34型(10代目)のGT-Rがスカイラインの白眉だと主張するだろう。 【写真11枚】オートモビル・カウンシル2024に出品されていた、800台しか販売されず、しかも走行距離が2000kmちょっとという超レアな日産スカイラインGTS-Rの詳細画像をチェック ◆誰もが欲しがる逸材 複数の自動車趣味人が集まり、マイベスト・スカイラインを発表しあうような状況のなかで1985年に登場した7代目のR31型が一番イイと熱弁するクルマ好きは少ないといえるが、「セブンス」のなかにも世代を超えて誰もが欲しがる逸材が存在している。 ◆ヴィンテージ宮田自動車が出品 そのクルマこそが1987年にリリースされた「日産スカイラインGTS-R」だ。2024年4月12日~14日までの日程で開催されたオートモビル カウンシル2024においてヴィンテージ宮田自動車が1800万円で販売。来場者から羨望の眼差しが注がれていた。 R31型スカイラインは当時流行していたハイソカー路線で勝負しようとしたこともあり、4ドア・セダンと4ドア・ハードトップというラグジュアリーなラインナップで販売をスタート。筆者の母親の姉が豪華装備の「パサージュ」に乗っていたことをいまでも鮮明に憶えている。 ◆途中追加の2ドアGTSがベース ファミリー・カーとしての需要は拡大できたが、それまでのスポーツ路線とは大きく異なる高級志向がカーマニアから不評だった。そこで1986年に2ドア・クーペの「GTS」シリーズを追加(GTSはのちに4ドア・ハードトップにも設定)。走りのよさを再びアピールすることになった。 2代目のS54B以来、スカイライントレースは切り離せない関係にあるが、1985年から始まったグループA規定によるレースでは、ハイソカー路線でデビューしたR31型は参戦せず、先代モデルにあたるR30型でエントリー。その時点で投入可能なマシンということでR30型が選ばれたようだが、当然のことながら最新鋭マシンを持ち込んできたライバルを相手に苦戦を強いられることになった。 ◆全日本ツーリングカー選手権で年間王者を獲得 そこで日産は、市販車ではスポーツ路線への回帰を図ると同時に、R31型を投入することを決意し、1987年にグループAの参戦車両のベース車としてGTS-Rを開発。800台限定で発売した。このホモロゲーション取得用モデルは、GTSと同形式の2.0リッター直列6気筒ターボ・エンジンをベースにギャレット製の大口径ターボ・チャージャー、ステンレス製エグゾーストマニホールド、前置きインタークーラーなどの採用したRB20DET-R型へと改良を施すことで、最高出力をGTS用から20psアップとなる210psまで高めていた。 専用カラーのブルーブラックで塗装された直線基調のエクステリアでは、可変式から固定式に変更されサイズも拡大されたフロント・スポイラーや大型のリア・スポイラーを装着。インテリアでは、イタルボランテ製のステアリング・ホイールやモノフォルムのバケットシートがクルマ好きを熱くさせた。 ちなみに、GTS-Rをベースとしたレース・カーの最高出力は400psで、全日本ツーリングカー選手権(JTC)はもちろん、欧州ツーリングカー選手権でも活躍。1989年シーズンのJTCで長谷見昌弘/A.オロフソン組が3勝し、シリーズタイトルを獲得するなど、後継モデルとなるR32型GT-Rが登場するまで戦い続けた。 ◆オリジナル度が高い上質車 ヴィンテージ宮田自動車が1800万円で販売していたのは1987年式のスカイラインGTS-Rで、イベント会社があまり走らせることなく長期保管していた個体とのことで、総走行距離がわずか2190kmという奇跡の一台であった。 当然のことながらビックリするほどオリジナル度が高い上質車で、純正オプションのBBS製アルミホイール、フォグランプ、ドアミラー・バイザーを装備。エアコンやパワーステアリング、パワーウィンドウも普通に備わっているので、我こそは、と思った熱心なファンは、R31型の最強モデルとして君臨するスカイラインGTS-Rで夜な夜な走ってみるといいだろう。 文・写真=高桑秀典 (ENGINE WEBオリジナル)
ENGINE編集部