長谷部誠がドイツで指導者になる意義。シャビ・アロンソのような実績を携えて日本代表を指揮する時が来れば、世界一が現実味を帯びてくる
最先端を知る説得力とカリスマを備えた指揮官が求められる
確かに日本の選手たちは、着実にトップレベルに肉薄している。また日本の指導者も、おそらく勤勉さでは、どこの国にも引けを取らない。しかし現実にトップシーンに身を置く指導者がいないので、新しい知識を学んだ頃にはすでに最先端から置き去りにされている可能性が高い。 日本でただひとりイングランドでUEFAプロライセンスの取得に成功した高野剛氏が語っていた。 「ピッチ上での指導についての学習は、全てA級までに終えます。プロコースは世界の最前線でリードしていく監督を養成する場なので、『誰かを模範に』と考えた瞬間に、それはもう第一線ではなくなる。合格するには、常に世界の最先端に何が起きているかを把握したうえで、その先を行く独自の見解を発信していく必要があります」 これまで日本代表は、3人の日本人監督に率いられて4度のワールドカップを戦って来た。だがどうしても経験値では監督が選手たちに及ばず、初出場だった1998年フランス大会の岡田武史監督以外は、選手たちの見解が重要なカギとなった。 しかし過去に世界の頂点を競ったバレー、バスケット、体操、水泳など他競技の例を見ても、日本人選手たちの特徴を活かした独自の発案を武器に戦って来た。それ以上に競争が厳しいサッカーの世界で頂点を見据えるなら、当然最先端を知る説得力とカリスマを備えた指揮官が求められる。 長谷部氏のキャリアは、十分にフランクフルトのトップチームを指揮する説得力を持つし、それは計16シーズンもドイツ一筋で戦い抜いた同氏だからこそ可能な挑戦だ。 もし彼がレバークーゼンで革命を起こしたシャビ・アロンソのような実績を携えて日本代表を指揮する時が来れば、本当に世界一が現実味を帯びてくるのかもしれない。 ドイツではフランツ・ベッケンバウアーが、フランスでもディディエ・デシャンが、主将と監督、いずれの立場でもカップを掲げ、キャプテンシーと指揮官の相性の良さを証明している。 文●加部究(スポーツライター)