「源氏物語」の女性たちがたどる自立への旅と紫式部の肖像…『レディ・ムラサキのティーパーティ』書評
---------- 百年前にアーサー・ウェイリーが英訳した「源氏物語」を現代日本語に再翻訳した姉妹が、その前代未聞の翻訳をたどりつつ、「源氏物語」の新たな魅力を読み解く『レディ・ムラサキのティーパーティ らせん訳「源氏物語」』(毬矢まりえ・森山恵、講談社刊)が話題です。『貝に続く場所にて』で芥川賞を受賞したドイツ在住の作家・石沢麻依さんに、本書の書評を寄稿いただきました。 ----------
思いがけない場所へ導かれる旅
グスタフ・クリムトの描く花に包まれた表紙を開くと、レディ・ムラサキの催す「花宴(はなのえん)」に読み手は招き入れられる。ウィステリアやライラック、サフランなど変容した女性たちの華やぎに満ちた庭園は、おとぎ話の森や『嵐が丘』の荒野に取り囲まれ、イギリスのマナーハウスやイタリアのパラッツォを彷彿とさせる建物内部とも繋がっている。そこに足を踏み入れれば、回廊に並ぶ宗教画や風景画、神話画に肖像画を目にするだろう。そして、重なるモチーフや渦巻く色彩の響きに、時代や国境を越えた文学のさざめきを見出せるはずだ。 本書で綴られるのは、毬矢まりえと森山恵によるアーサー・ウェイリー版『源氏物語』の翻訳をめぐる広大な旅の記録である。海を渡った日本の古典文学が、様々な文化圏で翻訳、受容されてゆく過程で何を反映し、どのような形をとっていったのかが流麗な文章で鮮やかに示されている。絵画的イメージを伴う語りは、多岐にわたるテーマを軽やかに行き来し、ロシアの翻訳家の日記や十七世紀フランスの文学サロン、「あはれ」に対応するメランコリーという概念の歴史など、読み手を思いがけない場所へと導いてくれる。 そして、ここにウェイリーが英語訳を完成させるまでの長く孤独な旅もまた、透かして見ることができるだろう。二〇世紀初頭のイギリスと中世の古典に描かれた日本は、時間的にも空間的にも、当然のことながら言語的にもかけ離れていた。その隔たりを埋めるのは、ウェイリー版の中で幾重にも反響する豊穣なイメージなのだ。聖書やギリシャ神話、おとぎ話に漢詩、そして数多くのヨーロッパの文学。ホメロス、ダンテ、シェイクスピアにディケンズらの作品が、彼の翻訳した「シャイニング・プリンス」の物語の奥で重なり合う。