『虎に翼』寅子モデル・嘉子の再婚相手は連れ子4人の裁判官「三淵乾太郎」。嘉子が4人の子と<親子の関係>を作るまでにはかなりの時間がかかり…
◆新しい生活 東京へ戻って3か月経った8月に、嘉子は同じ裁判官の三淵乾太郎と再婚することになりました。 乾太郎は、初代最高裁長官であった三淵忠彦の子息で、教養と気品あふれる紳士であり、その判例解説が名文であるということも評判でした。 優秀な2人をいつ誰が引き合わせたのかはよくわかりません。ただ、この時すでに亡くなっていた、乾太郎の父忠彦のことは、嘉子は以前からよく知っていました。 忠彦の戦前の著作である『日常生活と民法』を再刊した際(1950年)、その頃最高裁判所事務総局民事局長であった関根小郷から声をかけられ、内容が新しい民法に対応するようにと、関根と2人で補修をしたことがあったからです。 また、嘉子が家庭局にいた頃に最高裁判所事務局(事務総局)で秘書課長・総務局長を務め、嘉子に大きな影響を与えた内藤頼博によれば(内藤は1963年から1969年まで東京家庭裁判所所長を務め、嘉子とまたともに働くことになります)、嘉子に「白羽の矢」を立てたのは三淵乾太郎の母親である三淵静で、関根小郷夫妻の媒酌で式を挙げたそうです。 2人の仲の良さをよく覚えている同僚たちの複数の「証言」が、『追想のひと 三淵嘉子』の中には残っています。 2人の式は派手なものではなく、簡単なパーティーのようなかたちで済ませてしまったということですが、それはお互いに配偶者と死別した再婚で、またお互いに子どもがいたからなのかもしれません(乾太郎には、亡くなった妻の祥子とのあいだに、那珂・奈都・麻都・力の4人の子がいました)。 新婚の2人は、結婚していた那珂以外の子どもたちと一緒に、目黒で新しい生活を始めました。
◆厳しく激しい子育ての一面 明朗快活な嘉子でしたが、厳しく激しい一面もあったといいます。 (後の仕事ぶりにも表れるように)子どもの健全育成に強い関心を持っていた嘉子は、親が過剰に愛情を注いで過保護にすることにより、子どもがわがままになり、人を傷つけることを気にしないような人間になることを心配していました。 子育てにおいても、その姿勢が強く出ていたと言います。 乾太郎の4人の子どもの1人である三淵力は、「一人息子、芳武を連れて嫁して来た時、継母は、さぞや敵地に乗りこむ進駐軍、といった心がまえであっただろう」と回想しています。 乾太郎の4人の子どもたちと嘉子とが、親子としての関係を作り上げていくのには時間もかかったでしょう。 力は、「昨日、仲むつまじかったかと思うと、今日はもう言い争い、といった風に波乱が起き、我が家は平穏とはとても言い難い状態になった」「(嘉子の―筆者註)ミスを指摘し、糾弾することは、大変な勇気のいることであった」などとも書いています。 それは、嘉子らしいひたむきさの表れであると同時に、裁判所で見せている姿とは少し違った、ある意味で人間らしい一面だったのかもしれません。 ※本稿は、『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)の一部を再編集したものです。
神野潔
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