世の中は玉置玲央を放っておかない 鴻上尚史作・演出「朝日のような夕日をつれて 2024」
TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽や映画、演劇とともに社会を語る連載「RADIO PAPA」。今回は紀伊國屋ホール開場60周年記念公演「朝日のような夕日をつれて 2024」について。 * * * ドラマ、朗読、ドキュメンタリーと玉置玲央には一頃集中的にラジオに出演してもらった。柔らかく、澄んでいて、それでいて芯のある彼の声はリスナーの心にすっと入って異次元に連れて行ってくれる。そしてその多くが何らかの賞を獲得することができた。 今年も舞台「リア王」やNHKの大河ドラマなど華々しい活躍だが、僕は、いつだったか、彼の所属する劇団「柿喰う客」下北沢公演の際、自ら往来に出て声を嗄らすようにフライヤーを配っていた姿を思い出す。 ほんとに演劇が好きなのだと思った。そして世の中は玲央を放っておかないとも。そして、事実、その通りになっている。 彼の芝居は欠かさず観ているが、この夏は「朝日のような夕日をつれて 2024」を堪能した。 言わずと知れた鴻上尚史さん率いる「第三舞台」の代表作である。旗揚げは1981年5月15日。43年前、早稲田大学大隈記念講堂裏の特設テント。 新しいおもちゃを開発すべく玩具会社「立花トーイ」の男5人の奮闘ぶりを描くストーリーだが、その下敷きには不条理劇のシンボル、サミュエル・ベケット「ゴドーを待ちながら」が隠されているという。 「朝日のような夕日をつれて」はレジェンダリーな演目だが、ようやく見ることができた(紀伊國屋ホール開場60周年記念公演)。
ハイテンションにしてスピーディな言葉の洪水。しかもキレキレの体の動き。効果音や挿入される音楽が入るタイミングは、若かりしつかこうへいの舞台を髣髴とさせ、それが現在の中屋敷法仁まで受け継がれているのかと思った。 言葉の乱反射、言葉の万華鏡に巻き込まれながら、僕は公演サイトに記された言葉「淋しさは愛に似ている」「理解は別れに似ている」「連帯は孤独に似ている」の意味を探し続けた。そしてそれらは爆笑の渦のところどころに顔を出し、刹那的に僕の熱を冷ましてくれた。 終演後、玉置玲央を楽屋に訪ねた。 「僕以外の演者はこの演目が初めてなんです。初演時には全員生まれていなかった。鴻上さんは笑いのツボをわかっていて、このセリフを投げてみろ、絶対、ウケるから、と演出してくれて」 「朝日のような夕日をつれて」は劇作家鴻上尚史がこしらえた大きな器である。その器に「今」の言葉をぶち込んで、演者を鍛え、アップデートし続けている。 開演時、赤いスニーカーを履いた鴻上さんは紀伊國屋ホールの入口に立って、訪れる客に挨拶をしていた。 その原点に、下北で見たフライヤーを配る玲央の姿を思い出し、小劇場の系譜はこうして綿々と受け継がれているのだと気づいた。 (文・延江 浩) 紀伊國屋ホール開場60周年記念公演 KOKAMI@network vol.20 「朝日のような夕日をつれて 2024」 【作・演出】鴻上尚史【出演】玉置玲央 一色洋平 稲葉友 安西慎太郎 小松準弥 東京:2024年8月11日(日)~9月1日(日) 紀伊國屋ホール 大阪:2024年9月6日(金)~8日(日) サンケイホールブリーゼ DVD予約受付中 https://www.thirdstage.com/knet/asahi2024/ ※AERAオンライン限定記事
延江浩