「そっと手を添え じっと待つ」大経大・徳永光俊学長に聞く
ピーク時に慌てない「ならしマネジメント」
徳永さんは数十年間も書き継がれた貴重な史料と向き合う。農家の知恵と汗の結晶だ。旧家に伝わる作付け帳を丹念に読み解き、田畑ごとに輪作の全容を浮き彫りにしていく。一枚の作付け循環表を完成させるまでに、膨大な労力や時間を費やした。「若いからできた」と、笑顔で懐かしむ。 農家手書きの農事日誌に目を通す。どんな作業が季節ごとに行われ、いかなる課題に直面し、どのようにして乗り越えようとしたのか。史料との粘り強い対話を通じて、まわし(循環)とともに見えてきたのが、ならし(平準)の原理だった。江戸期に記された大和の農書に「ひまな時働きまわしをして、年中ならしにかけるなり」との記述がある。 「農繁期に集中しがちな労働を分散させるため、やや余力のある時に少しでも農作業を済ませておけば、農繁期にあわてなくていい。労働量を年中ならして平準化する大切さを諭しています」(徳永さん) 農業とサービス業は労働集約型という点で似通う。最近、労働人口の減少に伴い、一部のサービス業で繁忙期などに労働力が確保できないことによるトラブルが相次ぐ。近世の農村で実施されていたならしの原理は、限られた人材資源を計画的に活用する重要性を、改めて現代人に示唆しているのではないか。
対立ではなく共生へ向かう合わせの精神
まわし(循環)の原理、ならし(平準)の原理と向き合い、論考を深めるうちに、徳永さんは第三の原理である合わせ(和合)に辿り着く。 尾張の農書に「何事も中道がよろしい」「作方も十分なるは悪しく、九分目がいい」という趣旨の記述がある。収量の最大化を目指すと、肥料の過剰投入を招く。肥料が多すぎると病虫害などを引き起こして、満足な収量を得られない。収量は上げたいが、無理はしないという賢明なる教えだ。 「それぞれの土地には相ふさわしい容量があり、結果的に最適な相応というところに落ち着く。自然と対立することなく折り合いをつけることで、農業の継続を優先する合わせの原理が働いていた。融合、和合の精神です」(徳永さん) 大和では、まわし農法で農地を有効活用する半面、連作による地力消耗への備えも怠らない。連作ローテーションの中に地力を養う豆類を組み込むことで、長期的な地力維持を図る工夫を凝らしていた。 徳永さんによると、「日本農書全書」に記載された700点の江戸期農書には、害虫、雑草という言葉が一回ずつしか出てこない。当時の農民たちが虫害対策や除草に追われながらも、虫や草を根本から否定する排除の発想が広まることはなかったようだ。対立ではなく共生。合わせの精神が息づく。