「そっと手を添え じっと待つ」大経大・徳永光俊学長に聞く
全員の中位の幸福を目指す持続可能社会モデル
農法原理の有効性は、農業に留まらない。江戸を代表する豪商のひとり紀伊国屋文左衛門。紀州産のミカンを、リスクを背負って海路江戸へ送ることで成功をおさめた。花街で芸妓たちを総揚げしたお大尽遊びで名高い。成り上がった豪商たちのおごりとされる逸話だが、徳永さんは異なる視点から読み解く。 「豪商がお大尽遊びをすることで散財し、散財することで富を分散化していた。もうけた金を独占する蓄財は吝嗇(りんしょく)、けちとされ、散財することが世間から尊敬される条件のひとつになっていました」(徳永さん) 天下の台所大坂でも、豪商たちが社会貢献の一翼を担う。まちの発展に必要と判断すれば、私財を投じて橋をかけた。経済活動や市民生活には良好な水運の維持が欠かせない。川の土砂をさらうしゅんせつ工事には膨大なコストが必要だったが、豪商たちが競い合って自ら工事を手掛け、お祭り感覚を演出して町人たちの士気を盛り上げた。 「お金を回してならし、格差や不平等をおさえて、全員の中位の幸福を目指す。日本社会が培ってきた原理です。日本列島の土地と資源が有限であるからこそ、全員が和合する思想は、時代を超えて地下水のように伏流しています。これからは地球的規模で限られた資源や貴重な環境を守ることが求められる時代。日本農法で全員の中位の幸福を目指す原理を発信し実現していくことが、大きな課題になってくると思います」(徳永さん)
農作物も学生も自ら育つ力を持っている
徳永さんは学長職の重責を担う。学内で開かれた課外活動報告会に出席し、好成績をあげたチームの選手たちの健闘を称えた。わがごとのように喜びながらも、「もっと上を目指せ」と激励を忘れない。学問のスタンス同様、試合会場に足を運び、声援を送る。「選手たちが最後まであきらめずに粘り強く戦えるようになってきた」と笑みが浮かぶ。 選手たちを祝福したのち、大学近くの居酒屋「セブン」へ。徳永ゼミの学生や大学職員と鍋を囲み、しばし懇談のひとときを楽しむ。伝統技術と地域振興をテーマに、ゼミ生が職人たちを訪ね歩いた体験談に花が咲く。 ゼミ生がある職人に調査協力を依頼したところ、いささか反応が鈍い。徳永さんがさりげなく交渉に加わり助け舟を出すと、ゼミ生の真意が伝わり、職人は快く了承。大人同士、人情の機微とでもいうべきか。以来、職人はゼミ生に対して胸襟を開いて全面的な協力をしてくれた。 徳永さんが名人農家から学んだように、ゼミ生たちは有能な職人から多くを吸収することができた。ゼミ生のひとりは「技術を究めようとする姿勢に心を打たれました」と振り返る。「そっと手を添え、じっと待つ」。徳永さんの教育理念だ。 「農業と教育には共通点がある。作物も学生たちも、自分で育とうという力を持っています。そっと手を添え、じっと待つ。自ら育つ力をしっかり引き出すことが大事です。放任はいけないが、任せすぎてもよろしくない。塩梅がむずかしい。腸内の繊毛をひっくり返すと植物の根になると、すでに幕末の農書に書かれています。僕らの中にも内なる自然がある。無理をしない。現実を素直に認め、受け入れることから始めましょう」(徳永さん) 「最近、東洋医学や看護学の専門家とお話をすると、自然治癒力の重要性を指摘されます。自然治癒力はいのち本来の力。江戸時代の農書は、稲をいのちの根と記す。当時の人々の考え方かなと思いますね。いのちをキーワードにして、農業や教育、医学がつながってくる。大きな人類史の展望の中で考えると、日本文明が世界に貢献できる要素を秘めていると感じています」(徳永さん) 青空を映し込む一枚の水田は、多様な価値を併せ持つ。農家の努力が貴重な食料をもたらすとともに、四季を彩る情景が住民に安らぎを与え、小さな生き物たちが共生する小宇宙でもある。 古来より育まれてきた農業を軸に、いのちを通じて教育や医療とつながり、文明論まで視野に入れる徳永理論。「まわし」「ならし」「合わせ」の三大原理。人づくりは「そっと手を添え、じっと待つ」。応用範囲は広いとみられ、個々人でも自身の仕事や人生に生かしたい。大阪経済大学に関する情報は大学の公式サイトで。 (文責・岡村雅之/関西ライター名鑑) ■徳永光俊(とくなが・みつとし)1952年愛媛県生まれ。京都大学農学部卒業後、同大学院農学研究科後期博士課程単位取得。京都大学農学博士。85年から大阪経済大学経済学部に勤務し、同学部教授を経て、現在、同大学学長。主な著書は「日本農法の水脈―作りまわしと作りならし―」「日本農法史研究―畑と田の再融合のために―」「日本農法の天道―現代農業と江戸期の農書―」(いずれも農文協)など。「日本農書全集」(同)の共同編著も手掛けた。大阪経済大学の公式サイトで、徳永さんの研究論文の一部が閲覧できる。学長就任直後の2010年12月、学長ブログ「野風草だより」を掲載開始。連載は現在までに800回近くに達し、約63万回のアクセスがある。