「そっと手を添え じっと待つ」大経大・徳永光俊学長に聞く
天然農法と人工農法が融合し「天工農法」へ
40歳ごろまで、黙々と史料を読み込んだ。大学での学術調査に加え、市井の研究者と関西農業史研究会を開き、史料から苦労の末に得た知見を共有した。やがて、史料探索を続ける一方、研究会の仲間らと、農業の名人たちを求めて、全国を訪ね歩く。 「農学は農業を応援する実学的な色彩が強い学問であり、農業を変えていくのは農家自身です。現代農業が徐々に衰退していく中、懸命に努力している農家の皆さんと接することで、現代の農学に何ができるかを探りたかった」(徳永さん) スイカ、トマト、タラの芽などの各分野に、名人ありき。あくなき挑戦を続ける農家を訪ねて語らい、地酒を酌み交わす。名人たちは日本農法さながらに性格温厚で夫婦円満。栽培ハウス内の雰囲気も和やかだという。カラオケで出稼ぎ農家が泣きながら演歌を熱唱する場面に立ち会い、魂がふるえた。韓国や東南アジアへも足を運び、農家との親交を深めた。 膨大な農事史料から学んだ歴史哲学。今を生きる農家から肌で感じ取った農業の実状。ふたつが交錯して、徳永さんに日本農法を内外に向けて発信する使命感を与えた。 徳永さんは日本農業史の大きな見取り図を広げ、農法革命に着目する。日本列島では4000年前から植物栽培の比重が高まった。2800年前から2700年前に水稲文化が伝来してからも、基本的には無肥料、無農薬、不耕起の「天然農法」に依存する時代が長く続いた。 やがて14世紀ごろ、水や土や肥料を遠くまで運べる革新的な桶の開発に伴い、人間の手により自然を変えていく「人工農法」が始まる。以降、現在までにいくつかの段階を経て、機械化や化学肥料の投入などで収量が上がる半面、環境破壊や資源問題を生み出す。行き過ぎた人工農法への批判から、自然農法や有機農業が提唱され支持を広げつつあるものの、理念重視で本格展開には至っていない。 「環境を守るためにも、農業は反科学ではなく、科学的でありたい。天然農法と人工農法がより高い次元で融合した新しい『天工農法』の創出へ向かうのではないか。まわし(循環)、ならし(平準)、合わせ(和合)の日本農法をベースにして、それぞれの土地に適した天工農法で新たな農業へ歩みを進める。天工農法はこれからの農業の在り方を示しています」(徳永さん)