姉と兄が相次いで死亡…悲運の一族に生まれた“ガラスの天才少女”の運命は? 幻の三冠牝馬の逸話「顔も仕草も愛らしく、どこにこんな力が…」
単勝支持率は“ディープインパクト超え”の81.4%
レーヴディソールのデビューは2010年9月11日、札幌芝1500mの2歳新馬戦。中舘英二を背に快勝した。 2戦目のデイリー杯2歳ステークスから福永が乗るようになり、後方から大外を余裕たっぷりに伸び、2着を1馬身1/4突き放して重賞初制覇を果たした。 つづく阪神ジュベナイルフィリーズも後方から直線で抜け出して優勝。着差こそ半馬身しかなかったが、直線で進路ができさえすれば勝てるという、福永の自信が伝わってきた。序盤から出して行くことも、手綱を引くこともなかった。道中も急な動きをせず、とにかく大事に、極力負担をかけないよう、水が高いところから低いところへ自然と流れるようなレースを、福永はしてみせた。 瞬発力があるタイプではなかったが、3戦とも上がり3ハロンはメンバー最速。いったんエンジンがかかるとどこまでも伸びて行くかのような走りで、悠々、2歳女王の座についた。 なお、この阪神ジュベナイルフィリーズで2着となったホエールキャプチャも、3着のライステラスも芦毛だった。1984年のグレード制導入以降、GIで芦毛馬が1~3着を占めたのは初めてのことだった。 3歳になった2011年の初戦は、3月5日の桜花賞トライアル、チューリップ賞。 2戦目のデイリー杯でマイナス6kg、阪神ジュベナイルでさらにマイナス2kgと体が減っていたが、プラス10kgの460kgでここに出てきた。 単勝1.1倍の1番人気。しかも、単勝支持率は、2005年菊花賞でディープインパクト(1着)が記録した79.0%を上回る、グレード制導入以降最高の81.4%だった。 その圧倒的な支持に応え、後方のまま直線に入り、福永が軽く気合をつけると豪快に伸び、ラスト200mを切ってからは流すようにして2着を4馬身切って捨てた。 3歳牝馬同士のGIII(当時)とはいえ、重賞でこれほどのワンサイドゲームは、そう見られるものではない。 その4年前の2007年にはウオッカが牝馬として64年ぶりにダービーを制し、ライバルの女傑ダイワスカーレットと翌08年の天皇賞・秋で競馬史に残る名勝負を繰りひろげるなど、「牝馬の時代」が到来しようとしていた。 さらに、レーヴディソールがデビューした2010年には、同じ厩舎の先輩である名牝ブエナビスタが年度代表馬になっていた。牝馬の時代はつづいており、牝馬同士の重賞だからといって、価値が低く見積もられることはなくなりつつあった。
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