人生に向き合う中でソローが見つけたもの 「森の生活」が日本人を救う
「人生の根源的な事柄とだけ向き合いたい」
世界のグローバル化、そしてIT社会への急速な移行。 目まぐるしく移り変わる現代社会の中で、人々はまるで何かに追い立てられるかのように、急ぎ足で、心をすり減らして生きている。日々鬱々として暮らし、思いつめ、病を発症する人も後を断たない。 「(森の中で)熟慮を重ねながら人生を生きたい」 「人生の根源的な事柄とだけ向き合いたい」 「人生が私に教えようとしているものを知ることができないかどうかを知りたい」 「いざ死ぬときになって、自分が生きなかったという事実に気づくようなことがないようにしたい」 時代や環境が大きく違うとはいえ、ソローがウォールデンの森の中から発したこうした言葉の一つひとつが、豊かな森を失った現代人に響かないはずがない。 ソローが生きた19世紀のアメリカでも、彼の生まれた町コンコードに端を発した独立戦争に勝ってイギリスから独立した後、産業化と都市化が急速に進み、人々の人間性や、人間を包み込む自然、森が失われて、その喪失に多くの人々が危機感を抱いていた。そうした危機意識の中で、ソローは改めて、森と、人間と、真正面から向き合おうとしたのである。 産業化と都市化が急速に進み、人々の人間性や、人間を包み込む自然、森が失われていく危険。 その危険性は今も続いているどころか、21世紀の今、それは間違いなく日増しに強まっていると言って間違いないだろう。 だからこそ、森の中から発せられたソローの言葉の数々は、現代人の心に深く突き刺さるのである。
「一年に六週間ぐらい働けば、生活費はすべてまかなえる」
『森の思想が人類を救う』という本の中で21世紀の人類最大の危機として、核戦争、環境破壊、精神崩壊の三つの危機をあげ、「森の思想」が人類を救う、と説いた哲学者・梅原猛に倣うならば、「森の生活」が人間を救う、のだ。 ソローが師と仰いだラルフ・ウォード・エマーソンが言ったように、 「森の魔力には治癒の力があり、私たちを落ち着かせ、癒してくれる」のである。 『ウォールデン 森の生活』は、「経済」「住んだ場所と住んだ目的」「読書」「音」「孤独」など全部で18の章から成っているが、その中でソローは、彼の言うところの「人生の根本的な真実」を発見していく。 曰く、「一年に六週間ぐらい働けば、生活費はすべてまかなえる」 そして彼はやがて、「もしわれわれが単純に、そして賢明に生きるならば、この地上でわが身を過ごすのは、苦労ではなく、楽しみである」という絶対的な真理に到達するのである。 どんな時代であれ、社会であれ、もしわれわれがシンプルに、簡素に、そして賢明に、ということはつまり、大地にしっかりと足を着けて生きるならば、この地上での生活は、すなわち人生は、苦労ではなく、楽しみである。日々鬱々として暮らし、思いつめ、病を発症する必要などどこにもない。 この単純な真実を、ソローは森の中で、自分を、人生を見つめ直すことで発見したのである。 「四季との交流を楽しんでいる限り、人生を重荷に感じることはない」 ソローはそうも言っている。 ---------- 井上一馬(いのうえ かずま) 1956年東京生まれ。日本文藝家協会会員。比較文学論を学んだ後、ウディ・アレン、ボブ・グリーンなどアメリカ文化の翻訳紹介、英語論、映画評論、エッセイ、小説など、多彩な執筆活動を続けている。