東コレ は「ファッションビジネスの欧州流出」から抜け出せるのか? 楽天ファッション・ウィーク東京を振り返る
楽天グループが冠スポンサーを務める国内最大級のファッションイベント「楽天ファッション・ウィーク東京 2024A/W」が3月11~16日に開催され、計43ブランドが参加した。有力デザイナーによるファッションショーをはじめ、合同展示会(商談会)や関連イベントなどファッションビジネスのプラットフォームとして機能している。 以前は、東京コレクション(通称・東コレ)として展開していたが、より消費者に近いB2Cの意味合いが強くなり、楽天グループが2019年8月に、同イベントを主催する日本ファッション・ウィーク推進機構(JFWO)と冠スポンサー契約を締結。ちなみに楽天グループの前は、アマゾンジャパンが冠スポンサーを務めていた。業界関係者向けのクローズしたイベント内容を改め、近年は抽選で、一般消費者がファッションショーを観ることもできる。開幕前日に行われたスペシャルパーティーにも600人近くのファッション関係者や若者が集まった。さらに国内外のファッションインフルエンサーの誘致にも積極的だ。
「クリエーション力」を打ち出し始めたアジア各国
東コレの歴史は古く、アジアでは老舗のファッション・ウィークとして認知されている。前身のTOP DESIGNER 6(TD6)の設立は1974年。当時は、金子功、菊池武夫、コシノジュンコ、花井幸子、松田光弘、山本寛斎の6人により結成された。その後は、コシノヒロコ、吉田ヒロミ、川久保玲、山本耀司といったデザイナーが加入し、東京でファッションショーを行いながら、クリエーションやビジネス規模で先行する欧米ファッション・ウィークの背中を追う構図だった。ファッション・ウィークという概念は、パリ、ミラノ、ロンドンに代表される欧州勢と、米国のニューヨークという4大勢力が今も影響力を持ち続けている。規模感や参加デザイナーの栄枯盛衰を繰り返しながらも、この4つがコアになっていると言っても過言ではないだろう。 プレタポルテ(高級既製服)が主流になったファッションビジネスにおいて、消費力が旺盛だった日本は1980年代後半から影響力を強めていく。すでに川久保玲や山本耀司らは、パリコレクションに進出し、異端、アヴァンギャルドの旗手として地位を固めていたが、東コレでは若手の新進デザイナーが隆盛し、順調にビジネス規模を拡大していた。東京で足場を固め、パリコレに進出するという形もできつつあった。川久保玲の後には、高橋盾(アンダーカバー)や阿部千登勢(サカイ)もパリコレで成功を収め、国内外で評価を高めた。現在もパリでショーを行う日本人デザイナーは多い。フランス人以外でパリコレに参加するのは、日本人が一番多いとも言われる。 東コレの様相が変わり始めたのは、2000年代に入ってからだ。上海や北京、ソウル、バンコク、香港、シンガポールなどでファッション・ウィークが本格化し、台北やジャカルタ、クアラルンプールでも政府系機関が支援する形態でファッション・ウィークが始まる。いずれの国・地域でも国策としてファッション産業を後押ししており、経済成長に比例するかように取引規模を拡大させている。 長年、ファストファッションやアパレル商材の生産地として機能してきたアジア各国は、労働集約型のビジネスモデルからの脱却を目指し、若手デザイナーの発掘、育成にも注力している。政情不安や経済環境によって休止状態になったファッション・ウィークもあるが、基本はアジアのセンター、ハブを標榜する。クリエーション力で商品単価をアップさせれば、それだけ利益も大きくなる。華々しいファッションショーに目を奪われるが、パリ、ミラノコレの根底には利益の大きいファッション産業を拡大するといった国の命題が見え隠れする。 生地の製作やデザイン、加工、縫製、貿易などファッション産業の労働人口、裾野は広い。野心的な若手デザイナーやユニークなストリートブランドが存在する「上海ファッション・ウィーク」や、人気K-POPグループとの連携、セレブマーケティングを駆使する「ソウル・ファッション・ウィーク」など、東京のライバルも増えてきた。アジアのファッション・ウィークが飛躍的に増えたことで、開催日程が重なることもーー。さらに東南アジアや中央アジアの新興国もファッション産業の拡大に意欲を見せている。