か細い声で3回繰り返した「アイ・ラヴ・ユー」 最愛の夫ピート・ハミルは集中治療室のベッドで
そばを離れた瞬間、「ああ、転んじゃった!」
家の前の通りで車を降りてトランクから歩行器と枕を取り出し、ピートが歩けるようにした。ふたりで歩道を2、3歩踏み出してみたが、二つの枕がいかにも大きくて手に余った。 「ここでちょっと待っててね。今、この枕を置いてくるから」 わたしはそういって玄関に走った。入口ドアの横に枕を置いて、振り返って見ると、ピートがひとりで前庭に入ろうとしていた。歩行器を持ち上げてほんの10センチの段を登って庭に入ったと思ったら、その場によろよろと倒れこんだ。わたしから1メートルも離れていなかったが手を伸ばしても届かない距離だった。 驚いて駆け寄ってみると、尻餅をつき、 「ああ、転んじゃった!」 と本人は苦笑していた。 転び方もスローモーションのビデオを見るようにゆっくりだったので、たいした怪我をしたとは思わなかったが、いざ持ち上げようとすると、わたしの力ではとても無理だった。 どうしたものか困り果てたわたしは同じアパートの3階に住む隣人のジョンに助けを求めた。ジョンの力でようやくピートを起き上がらせ家の中に入れてもらったが、寝室に運んでからベッドに乗せることができない。 そのうち、ピートが痛みを訴えるようになった。痛みは腰からきていたし、腕の傷口からは出血していた。主治医に電話すると、 「また病院へ戻りなさい。911へ電話して救急車を呼ぶんです」 ようやく帰ってきたというのに、また病院へ行くのは嫌だとピートは訴えた。わたしも行きたくなかったが仕方ない。再び救急車のお世話になって、メソディスト病院へ戻った。
緊急入院
救急処置室(ER)はいつものように超満員だった。それまで何回救急車に乗って、ニューヨークやブルックリンのERに駆け込んだことだろうか。しかも、今回はコロナ禍という緊急事態下だからウイルスも蔓延していることだろうと心配になった。 ひたすら待つこと数時間、やっと病室が決まり、CTスキャンを撮ってみると、腰の右側に骨折が見つかった。 「骨折していますから、手術することになります」 若い医師がこういったので、なんとか手術をしないで治すことはできないのかと詰め寄った。ピートの体力を考えると心配だった。しかし、手術をしないでいると血栓が体に回って危ない状態になるのですと説き伏せられた。 翌2日、手術が終わったのは夜だった。ピートは手術後、集中治療室に移されていた。 3日、集中治療室へ行くと、コロナ患者がいるために家族の面会は制限されていた。1日4時間、ひとりだけ許される。それまで面会が遮断された時期が長かったので、面会できるだけでもありがたいと思わなくてはならなかった。 ピートは憔悴した顔つきだったが、わたしを見ると嬉しそうに手を差し伸べてきた。数人の看護師がついて、検査をしている。 「痛むの?」と訊くと「痛くない」という返事だったのでほっとした。4時間はあっという間に経ち、自宅へ戻った。 4日、朝になって駆けつけると、担当医のドクター・スタムが病室に来ていた。わたしの顔を見ると、そっと袖をひいて病室の外の廊下へ誘った。 「ピートは、とてもとても悪いのです」 呆然とした。もう持たないということだろうか。 「ピートの上の娘がニューヨーク北部にいるのですが、すぐに呼んだほうが良いですか」 医師は迷うことなくこう答えた。 「もちろんです」