マツダ コスモスポーツ(昭和42/1967年5月発売・L10A型) 【昭和の名車・完全版ダイジェスト038】
この連載では、昭和30年~55年(1955年~1980年)までに発売され、名車と呼ばれるクルマたちを詳細に紹介しよう。その第38回目は、マツダのロータリーエンジン史に燦然と輝くコスモスポーツの登場だ。(現在販売中のMOOK「昭和の名車・完全版Volume.1」より) 【写真はこちら】車名のとおりそのスタイリングは宇宙(コスモ)を飛ぶ円盤のようだった。優れた空力特性で当時は超高速の最高速200km/hをマークした(後期型)。(全15枚)
6年の歳月をかけて開発された初代REカー、スーパースポーツカーとして強い存在感を放つ
とくに「ロータリー・パワー」と呼ばれ、そのめざましい動力性能や低公害の魅力によって、評価が定着した感のあるロータリーエンジン(RE)。 しかし、そのパテントを持っていたドイツのNSU社から東洋工業(現在のマツダ)がいち早く技術導入し、必死にその実用化に取り組んでいた昭和35年~ 45年(1960年代)は、REは「夢のエンジン」と称される一方、現実的にはまだまだ「海のものとも山のものともわからない」存在であった。ちなみにNSU社ではこれを開発したバンケル博士の名前から「バンケルエンジン」と称していた。 コスモスポーツはようやく実用化にこぎつけた「国産では初めてのRE搭載モデル」であった。またそれと同時に、なじみのうすいREをユーザーにアピールするためのデモンストレーションカーでもあった。 ここでコスモスポーツ全体の話の前にRE開発の話に触れておこう。NSU社がREの開発成功を発表したのは昭和34(1959)年12月のこと。さっそく東洋工業が技術導入の交渉に乗り出し、契約の仮調印を行ったのが昭和35年10月、正式調印が昭和36年2月だった。 REの国産化がスタートしたまではよかったが、当時のREはまだ技術的に問題が多く、そのまま実用化、市販化とはいかなかった。本家のNSU社でさえRE搭載の第1号車、NSUバンケル・スパイダーを発売したのは昭和39(1964)年11月のことである。 東洋工業では昭和36(1961)年11月には試作第1号エンジンを完成させたが、一定時間運転すると急激な性能低下をきたすなど、その製品化は難航した。いくつかの問題点はあったが、代表的なのがローターが中で回転するローターハウジングに波状摩耗(チャターマーク)ができてしまう問題で「悪魔の爪痕」と称されるほどだった。 これは、気密性を保つためにローターに装着されたアペックスシールとハウジングとの間の摩耗によるものだ。単に高回転でエンジンを稼働するだけなら問題にはならないが、実際の走行で回転数を変化させることによって発生する現象だった。 昭和38(1963)年10月の第10回全日本自動車ショーには1ローターと2ローターのREの単体が出品されたが、性能低下の問題はまだ解決されておらず、とても完成品と呼べるものではなかった。