マツダ コスモスポーツ(昭和42/1967年5月発売・L10A型) 【昭和の名車・完全版ダイジェスト038】
アペックスシールの素材がカギに。RE完成と同時にコスモスポーツ登場
REを搭載した2シーターのスポーツ・クーペ、コスモスポーツの「正式デビュー」は翌昭和39(1964)年9月の第11回東京モーターショーであった。 「正式」というのは、前年のショー会場に当時の東洋工業社長の松田恒次氏を乗せた2シーター・スポーツが姿を見せていたからである。これがプロトタイプのコスモで、したがってコスモスポーツのデビューは正確には「正式デビュー」の1年前、昭和38(1963)年10月ということもできる。 昭和40(1965)年、41年のショーにもコスモスポーツは出展されたが、市販までには至らず、その間もマツダ技術開発陣の実用化に向けての苦闘が続けられていた。先述のアペックスシールの素材が解決の切り札だったが、そのために「牛の骨から貴金属まで」と言われるほどさまざまな材質を試したという。 当時、RE開発の陣頭指揮に立っていた山本健一氏(のちのマツダ社長)は、「チャターマークはアペックスシールの固有振動数に起因するものではないか?」という発想からアペックスシールに縦と横に穴を開けるクロスホローという解決策を考え、一定の効果を得た。 それに加え画期的ともいうべきカーボン・アペックスシールの採用によって、ついに性能低下の問題を解決したのは昭和41(1966)年12月のことであった。これは日本カーボンとの協力によるところが大きい。 こうしてREの試作をスタートさせてから実に6年あまり、昭和42年(1967年)5月からコスモスポーツの市販が開始されている。 外誌で「エキゾチック」と評された、低くテールの長い独特のスタイルのボディに搭載されたREは、491cc×2ロ ー タ ー の10A型 で、 最高 出 力 は110ps/7000rpm、 最 大トルクは13.3kgm/3500rpmを 発 生 し た。 最 高 速185km/h、0→400m加速は16.3秒だった。 サスペンションはフロントがダブルウイッシュボーン、リアはド・ディオンアクスル式とした。この方式はリジッド式ではあるが、デフがボディ側に固定されることからバネ下重量の低減につながる。ブレーキはフロントがディスクである。 発売から1年2カ月あまりの昭和43(1968)年7月、マイナーチェンジで10A型REは110psから128psに出力アップ、ホイールベースの延長やトランスミッションの4速から5速への変更などが行われた。これによって最高速は200km/hに、 0→400mも15.8秒を実現するまでになっていた。 昭和47(1972)年9月、カペラ、サバンナなどのRE搭載モデルに席を譲る形で、「REの先兵」であるコスモスポーツは生産を終了した。発売から5年あまり、生産累計台数は1176台であった。マツダの初期のREスポーツカーとして、その存在意義は大きい。