93歳の現役アスリート。テニス大会で金メダル、85歳から始めた陸上では世界記録も。今でもトレーニングを続ける理由は「もっとうまくなりたいから」
夕食後はテレビを見てくつろいだり、趣味の編み物や裁縫を楽しんだりして過ごす。取材時、首に巻いていたニットのマフラーも恵美子さんの作品だそうだが、既製品と見間違う仕上がりだった。 「着物をリメイクして、ワンピースを作ることもあります。母は手先が器用な人だったので、私もその血を受け継いだのかもしれませんね(笑)」 恵美子さんは薬科大学を卒業後、旧厚生省の研究所に研究者として就職。定年まで勤め上げ、その後も週に1度、専門学校の非常勤講師を務めていた。なんとその生活を89歳まで続けていたというから驚きだ。 「研究所では化粧品の分析をしていました。たとえば、欧米から輸入された化粧品と日本で製造された化粧品とでは成分が違います。そういう配合を見極める試験などをやっていたんです。 専門学校では、その経験を生かした授業をしていました。毎回生徒さんが提出する大量のレポートを読んでコメントを書くのは大変でしたが、何歳になっても必要とされたり期待されたりするのは幸せなこと。忙しさが張り合いになって、今日まで健康でいられたのだと思います」
◆仲間に会える喜び 仕事の合間に続けていたテニスでシニアの世界大会に出場するようになったのは、定年後の62歳からだ。83歳のときにトルコで開催された大会で準優勝を果たしたが、負けたことが悔しくて、翌年から加圧トレーニングを始めた。 腕と脚のつけ根に専用のベルトを巻き適度に血流を制限することで、小さな負荷でも効果が出やすくなる筋力トレーニングだ。成長ホルモンが大量に分泌されるため、骨や筋肉の成長促進が期待できる。 「その頃にお会いした整形外科医の平泉先生に加圧を勧められ、『テニスで勝つために、84歳からでも始めたほうがいいですか』とお聞きしたところ、『もちろんです』と。がぜんやる気になりました(笑)。以来、先生に紹介していただいた廣林恭子トレーナーにお世話になっています。マンツーマンでサポートしてくださるので安心です」 トレーニングを始めてから疲れにくくなったという恵美子さん。85歳からは、陸上競技の世界にも飛び込んだ。きっかけは、「足の運びが速いから短距離をやってみたら?」とテニスの先生に勧められたことだった。 「何度も誘われるので、それじゃあと軽い気持ちで始めたんです(笑)。そしたら、初めて出場したマスターズの大会で100m(85~89歳部門)の世界記録(記録公認に必要な写真が保持されておらず不認定)が出て。一気に夢中になりました」
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