球児の取材17年、長島三奈さん「17歳の選手たちに教えられた」
THE PAGE
テレビ朝日は特別番組『~長島三奈が見た甲子園~ 野球が僕にくれたもの』を10月31日に放送する。夏の大会以降も長野県の強豪・上田西高校や佐久長聖高校の球児に密着し、ベンチ入りを果たせなかった3年生の最後の夏に、長島三奈さんが密着取材した。17年にわたって高校野球を取材してきた長島さんは、高校球児をどんな思いで見ているのか? 話を聞いた。
長島さんは、1991年にテレビ朝日入社、スポーツニュース部に配属され、アマチュアスポーツを担当した。記者になりたいという気持ちより、「スポーツを近くで見れるから」という同機が強かったと話す。 初めての取材は、柔道の全日本選手権。共同記者会見では最前列で取材した。身長150センチに満たない15歳の谷亮子が大きな選手をなぎ倒す様子を目の当たりにしたことが印象に残っている。その後、高校野球はほとんど担当したことがなかった。熱闘甲子園のオファーがあったのは98年。毎日の仕事として自分に務まるかどうか。「考えさせてください」と戸惑った。一か月考えて、そういう世界に飛び込むのもいい経験になるなと、仕事を受けた。 熱闘甲子園のオファーを受け、生まれて初めて高校野球の取材をしたのが栃木県の小山西高校。日が照りつける暑いグラウンドで、選手が水をまいてた。別の選手が一人ひとりに名前とともに「ありがとう」ってお礼言ってる姿を見た。ちょっとしたことで、名前を呼んでありがとうと感謝することに「人間として素晴らしいな」と驚いた。「人を思いやる気持ちからスタートしてるんですよね。17歳の選手たちに教えられました」。 思い出に残っている試合は、初めて仕事を引き受けた98年の甲子園。松坂大輔投手率いる横浜とPL学園の延長17回の死闘や鹿児島実業の杉内俊哉投手(現読売ジャイアンツ)のノーヒットノーランなど凄い試合がそろっていた。そのなかでも、鮮明に覚えているのが、沖縄水産の新垣渚投手(現ヤクルトスワローズ)の1回戦敗退の涙。投手なのに顔中どろだらけ。涙が泥となって流れてくるのを見た。プレーはもちろんだが「表情やしぐさにひかれてしまうんですよ」と振り返った。