「黒船に匹敵」カーターフィーバーに沸いた下田 1979年訪問当時の関係者、別れ惜しむ【米元大統領死去】
今からさかのぼること45年前の夏、伊豆半島の港町が「カーターフィーバー」に沸いた。29日に逝去した米国のカーター元大統領は在任中の1979年6月27日、下田市を訪問。「現職大統領の来訪は黒船到来に匹敵」「下田の歴史の重要な1ページ」―。わずか4時間の滞在だったが、鮮烈な印象を残した第39代大統領との別れを、当時を知る関係者が惜しんだ。
カーター氏は先進国首脳会議に伴い来日。幕末にペリー提督が来訪した歴史がある「開国のまち」下田への訪問が組まれた。市民との対話集会に続いて昼食のためにと足を伸ばしたのが旅館「清流荘」だった。 昼食会場には複数の宿泊施設が候補になったと伝わる。「せっかくの来日時に、日本文化を感じられる昔ながらの旅館を訪ねてみたいという思惑があったのでは」と元社長の田中秀夫さん(63)。大統領らが食したのはすき焼きやすし、焼き鳥などの和食だった。庶民派として知られた大統領。言葉を交わした当時高校生の田中さんは「イメージ通りのきさくな人だった」と半世紀前の記憶をたぐり寄せる。
休憩した部屋は今も残る。当時、沿道から歓迎の旗を振った現支配人の土屋秀典さん(51)は「訃報に触れ、(カーター氏来訪の)歴史的意義を再認識した。この史実を伝え継いでいきたい」としのぶ。 下田港にほど近い玉泉寺には、今も大統領来訪の痕跡が残る。記念碑に刻まれたサインは「プレジデント・オブ・USA」。同寺には日本初の米国総領事館が開設され、ペリー艦隊乗組員が眠る。前住職の村上文樹さん(74)は「大統領自身も下田が日米友好の象徴的な場所と受け止めていたのだろう」と推察する。
カーター氏は大統領退任後も平和外交に尽力しノーベル平和賞を受賞。村上さんは参拝客へ常に「まだまだ元気でおられます」と半世紀前からの縁を紹介してきたが、とうとう別れの日が訪れた。「大統領のおかげで田舎のひなびた小さな寺の歴史に再び光が当てられた。これからは『100歳まで頑張られ、下田にとっても大切な方でした』と功績を伝えていきたい」