賀川浩さん追悼 日本サッカー協会・川淵三郎相談役「長いサッカー人生の中で賀川さんの記事で不快になったことは一度もない」
90代まで国内外のサッカーを取材した賀川浩(かがわ・ひろし)さんが5日、老衰のため神戸市の病院で死去した。99歳。交流のあったレジェンドたちからは、悼む声が相次いだ。 【写真】現役最年長サッカージャーナリストの賀川浩さん ◆公益財団法人日本サッカー協会・川淵三郎相談役 「僕にとって賀川さんの思い出といえば1962年12月13日の産経新聞のコラムだ。三国対抗サッカーの真っ最中の12月11日、僕は日本代表の合宿を抜け出して大阪で結婚式を挙げ、その日の夕方の便で東京に戻った。脊椎分離でB代表に落ちていた僕は、翌日のディナモ・モスクワ戦でなんとしても活躍したかった。試合は2-2で引き分けに終わったが、前半44分にゴールを決めた。試合後に賀川さんに「花嫁にいいお土産ができましたね」と言われ、「ああ、こういうときはそういう発言をすればいいのか」と教えられた記憶がある。当時、新聞に戦評は出てもコラムが載ることは少なかったのだが、翌日の産経新聞には僕のことを書いた賀川さんの記事が掲載され、それがとてもうれしかった。賀川さんはとても温厚な方で穏やかに取材対象者に話しかける、当時としてはまれな記者だった。選手の心情をよく理解されていたのだと思う。厳しい記事も書かれたと思うが、僕の長いサッカー人生の中で賀川さんの記事で不快になったことは一度もない。サッカーを良くしようという思いが第一義にあった。サッカーへの愛情に満ちた、日本を代表するサッカージャーナリスト、それが賀川さんだった。賀川さんに心からの哀悼の意を表します」 ◆日本サッカー協会副会長などを歴任した釜本邦茂氏 「ずいぶん長いお付き合いでした。高校、大学、社会人、Jリーグと賀川さんの姿が常にサッカー場にありました。日本のサッカーをずっと厳しく、優しく見守っていただいた恩人です。まだまだお元気だと思っていたので残念です」 ◆C大阪・森島寛晃社長 「先日、神戸賀川サッカー文庫開設10周年の式典に参加させていただいたばかりだったので、突然の訃報に大変驚いております。日本サッカー界の発展のために多大なご尽力をされた偉大な方が、サッカー界から離れられることになり、大変残念に思っております。私自身、現役時代によく取材をして頂き、プレーの分析もして頂いて、お会いした際には、いつもワンポイントアドバイスを頂いておりました。現場で多くの選手を見てこられたからこそ、話をしていても説得力があり、私がキャリアを重ねていくにあたり、お陰様で大変成長をさせて頂きました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます」