毒親に縛られ続けたライナス・ポーリング...ノーベル賞を2度獲得した天才の苦労
ノーベル賞を受賞するほどの「光」あふれる偉才たちの人生の裏には、「影」が存在する。新刊『天才の光と影 ノーベル賞受賞者23人の狂気』を著した著者が、天才たちの狂気を生み出した要因をめぐり、驚愕のライフストーリーを明らかにする。(聞き手:岩谷菜都美) 天才たちの数奇な人生を厳選した『天才の光と影 ノーベル賞受賞者23人の狂気』書影
天才の定義とは何か
――(岩谷)本書を拝読すると、葛藤や苦悩を抱えながらも研究を続け、ノーベル賞を勝ち取った天才たちの人生には、転機になった出会いや、彼らを助けてくれた人の存在があるように思いますが。 【高橋】たしかに、そのようなポジティブな影響もあるでしょうが、それだけでは本書に登場する天才たちを語りつくせません。人間関係などで恵まれた環境は「優等生」を生み出すかもしれませんが、「天才」はむしろネガティブな要因から生まれているように思えます。 生涯に1300以上の発明を行った「発明王」トーマス・エジソンは、「天才」のことを"Genius is one percent inspiration, 99 percent perspiration."と定義しています。 つまり「天才とは1%のインスピレーション(閃き)と99%のパースピレーション(汗)」だということですが、ここで注意してほしいのは「99%は汗をかいた努力」だという点です。 私が『天才の光と影』の執筆を通じて常に感じていたのは、登場する天才たち全員がどこかで「異常なほどの努力」を重ねていること。しかも必ず先に成功があると保証されているわけでもない。結果の見えない暗闇の中を突き進む人間離れした一種の「狂気」を持つ人だけが「天才」に到達できるように思います。
能力を無視されたポーリング
――ネガティブな要素から生み出された天才には、誰が思い当たりますか。 【高橋】それならば山のようにいる(笑)。典型的なのは、本書の第15章に登場するライナス・ポーリング。1954年にノーベル化学賞、1962年にノーベル平和賞を獲得した、超天才です。 彼の人生につきまとって離れなかった「影」は、母親ベルの存在でした。 ポーリングの父親ハーマンはプロシアからアメリカ合衆国に移住した開拓民の息子でした。中学校を卒業後、薬問屋の丁稚になり、やがて行商をしながら薬について独習し、ついに薬剤師の資格を得たような努力家でした。彼は、開拓村で出会った郵便局長の娘ベルと結婚し、夫妻は3人の子どもを儲けました。 家族5人の幸福が一挙に崩壊したのは、33歳になったハーマンが突然血を吐いて倒れ、そのまま亡くなってしまったからでした。死因は「穿孔性胃潰瘍」なので、おそらく家族のために精力的に働きすぎた過労が大きな原因でしょう。 9歳のポーリングと6歳と5歳の娘を抱えた27歳の未亡人ベルは、途方に暮れました。彼女は、薬局を処分し、全財産をはたいて下宿屋を購入しました。2階に下宿人を置いて、その家賃で生活することにしたわけですが、食事の世話や家中の清掃は彼女が想定した以上に大変で、悪性貧血で倒れてしまう。 ポーリングの父親ハーマンは、息子の知的好奇心を大切にして、多くの本を買い与えていました。彼は自らの経験から、今後は数学と自然科学が大事だと常々ポーリングに語っていたのです。 最大の理解者だった父親の死にショックを受けた9歳のポーリングは、異様なほど勉学に打ち込むようになりました。とくに父親が重視した数学と自然科学ではトップの成績を維持し続け、彼は大幅な飛び級で中学校を卒業し、弱冠12歳でワシントン高等学校に入学することになったのです。 ――父親の影響で、天才の能力が開花したのですね。 【高橋】そのとおり。しかし、彼の母親ベルは、学問にまったく興味がなかった。彼女は、家族で唯一の男性であるポーリングに「早く高校を卒業して就職してほしい」と懇願しました。 ポーリングが大学に進学したいと告げると、ベルは「お母さんたちはどうすればいいの、私たちを見捨てるの?」とヒステリックに叫びました。その後、彼女は亡くなるまでの生涯にわたって、ポーリングに送金を要求し続けたのです。