神山健治 監督が語る 手描きアニメだからこそ作品としてのすごさを表現できた『ロード・オブ・ザ・リング ローハンの戦い』
偉大な王ヘルムに護られ、人間の国ローハンの人々は平和に暮らしていた。だが、突然の襲撃を受け、美しい国は崩壊していく。王国滅亡の危機に立ち向かうのは、ヘルム王の娘、若き王女ヘラ。最大の敵となるのは、かつてヘラとともに育ち彼女に想いを寄せていた幼馴染のウルフだった。果たしてヘラは、誇り高き騎士の国を救うことができるのかーー。 一つの指輪をめぐる冒険を描いた『ロード・オブ・ザ・リング』3部作には、200年前に遡る戦いの物語があった。原作である「指輪物語 追補編」に記された始まりのエピソードは、本シリーズ初のアニメーションによる映画化となった。製作総指揮に3部作を監督したピーター・ジャクソン、そして日本アニメーションの第一人者、神山健治が、この超大作の監督に抜擢された。さらに日本語吹替版では、ヘルム王に市村正親、ヘラを小芝風花、ウルフを津田健次郎、ほか実力派の声優・俳優らがこの壮大なスケールの世界を鮮やかに描き出す。 予告編制作会社バカ・ザ・バッカ代表の池ノ辺直子が映画大好きな業界の人たちと語り合う『映画は愛よ!』、今回は、『ロード・オブ・ザ・リング ローハンの戦い』の神山健治監督に、本作品への思いなどを伺いました。 ・・・ 日本のアニメで『ロード・オブ・ザ・リング』を 池ノ辺 今回のアニメーション映画『ロード・オブ・ザ・リング ローハンの戦い』の監督にと依頼があった時には、どのように受け止められたんですか。 神山 個人的な思いとしては、「これは絶対に引き受けるべきだ。こんなチャンスは2度とない」と、そう思っていたんですが、一方で、「手描きアニメで『ロード・オブ・ザ・リング』をオーダーされた期間内に作るのは不可能だろうな」とも思っていました。 池ノ辺 じゃあ、今回は、その “不可能” を “可能” にしたわけですね。「不可能かもしれないけどやりたい」とスタートしたものの、大変だったでしょうね。 神山 自分の過去作品を振り返ってみても、こんなに大変なことはなかったというくらい大変ではありました(笑)。 池ノ辺 依頼を受けてから完成まで、どのくらいかかったんですか。 神山 ちょうど3年(正確にはアニメーション制作はプリプロ、ポスプロ入れて2年6ヶ月)だと思います。3年前の10月に脚本の第1稿が上がってきて、年明けにはプレスコ(役者のセリフを先に撮ってから絵を作る)を行わないといけない。プリプロダクションを進めながら、同時進行でアニメーション制作に入っていかなければいけないという状態でしたから、年内はニュージーランド、アメリカのロサンゼルスとで、Zoomで会議を重ねて脚本決定稿と絵コンテを同時進行でやっていました。 池ノ辺 3年と聞くと、思ったより短い気がするんですが。 神山 長い方ではないですよね。 池ノ辺 じゃあ、監督はその間、ずっとロサンゼルスに滞在していたんですか。 神山 いえ、アニメーションの制作現場が日本だったので、大半は日本にいました。ただ、最初の英語のセリフの収録はイギリス英語が必要だったので、ロンドンに長期間滞在して行いました。最後の音響作業、ポスプロもニュージーランドで生活しながら完成させました。 池ノ辺 アニメーション制作は日本の「Sola Entertainment」ですね。手描きアニメーションで作られたそうですが、それは監督の希望だったんですか。 神山 僕の希望というよりも、手描きアニメでというのはワーナーサイドからの要望でした。プロデューサーであるジェイソン・デマルコさんから、手描きでという話だったので。ジェイソンさんはアメリカで数多く日本のアニメをプロデュースしてきた方で、日本のアニメの良さをよく理解してくれていましたから。だから「手描きのアニメでいこうよ」という話になったんだと思います。ただ、昨今の日本のアニメーション事情を鑑みるに、かなり不可能に近いオーダーだなとは思いました。ローハンを舞台にした場合、数千騎の騎馬兵が出てくる。もうそれだけでも描ける気がしませんでしたから。でもそれをやらないと、『ロード・オブ・ザ・リング』にならないしなとも思っていました。 池ノ辺 監督がやりたいというよりは、先方からの提案だったんですね。結果的にどのように対応されたんですか。 神山 自分のこれまでのキャリアの中で使った手法を全部使って、最終的に手描きアニメで完成させようと考えていました。手描きのアニメーターを手助けするために、まずはモーションキャプチャーだろうが3DCGIだろうが2Dのデジタル技術だろうがなんでも全て導入しようということですね。