「埼玉では内緒に…」福島・双葉の子どもたちが抱えた葛藤、元校長が語り継ぐ。「心」を守る大切さとは【ルポ】
◆「皆さんこそが希望なんだ」
終盤、泉田さんは①地震から頭を守る②高台に逃げる③心を守ることの重要性を繰り返し呼びかけた。まずは命を守ることが重要だが、「それで終わりではない。誇り、目標、自信、そういったものも守っていかないといけない」と力強く話した。 また、「原発事故でまき散らされたのは放射性物質だけでなく、恐怖、悲しみ、不安、避難の辛さ、いろんなものがあった」と述べた一方、「パンドラの箱の底には『希望』が残っていた」とも語り、高校生らにこう呼びかけた。 「皆さんには希望があり、皆さんこそが希望なんだ。だから希望を忘れずに頑張ってください」 泉田さんの講演後、生徒の1人は取材に「今生きているのは当たり前ではない。突然の災害で失われる命があることを再確認した」と神妙な面持ちで話した。また、「災害を経験した人たちが教訓や思いを後世に伝えていくことは、自分たちの命を守ることにもつながるんだと実感した」と語り、「災害はいつどこで起きるかわからないので、今日聞いた話はしっかり覚えておきたい」と述べていた。 ◇ 1時間にわたって身振り手振りで伝えた泉田さんの服には汗がにじんでいた。 埼玉県加須市の後、福島県内の小学校を経由し、いわき市の仮校舎に移っていた双葉南小学校に2018年に赴任。校長を務め、20年3月に38年間の教員生活にピリオドを打った。 その翌月から開館準備中の東日本大震災・原子力災害伝承館で勤務を始め、開館後はアテンダントスタッフなどの仕事を担った。24年3月で一線から身をひいたが、現在も同館から語り部の仕事を請け負い、郡山市から車で通っている。 私が生徒たちの感想を伝えると、「良かったです」と少しだけ安堵した表情を見せ、伝承館で働き始めた経緯や語り部の重要性などについて語ってくれた。 「あまりつまびらかにしたくはないんだけど、震災時に勤めていた小学校で子どもたちが亡くなった。震災と原発事故のことを若者からお年寄りまで伝えていくことが自分のやるべきことだと思った」 講演で印象的だったのは、頭を守ること、高台に逃げること、心を守ることの重要性を何度も話していたことだった。泉田さんは「生き残った人たちはその後も大変なことがある。それが心を守ること。私たちだってまだ落ち着いたわけではない。どうしよう、この先って……」と述べた。 双葉町の多くの地域は帰還困難区域のままで、約7000人いた住民のほとんどは町内に帰還できていない。泉田さんも事故後、10回ほどの転居を経験しているという。 また、ちょうどこの日、双葉町内の被災家屋を遺構として保存するというNHKのニュースがあった。泉田さんは「災害の脅威を語り継ぐことはできるけど、持ち主は辛いかもしれない」と語り、過去の出来事を打ち明けてくれた。 「ある日NHKのニュースを見ていたら、現場からリポートするキャスターの後ろに津波で壊れた私の家がでかでかと映し出されたんだ。最初は『うちだ!』と声が出たけど、いつまでも映ってたら『さらしものだな』と思えてきてね」 「日本中のテレビに映っていると思うと悔しくて。でも伝えなければならないこともあるんだろうな。13年前のことを忘れないために。私個人としては他人の被災家屋を許可なく撮影することはしないと決めたんだけどね」