「太陽ギラギラの中…」 終戦から79年 忘れられない炎天下の作業 内陸に計画された幻の「海軍飛行場」 14歳で動員された男性が証言 「本土決戦」「特攻」…浮かび上がる戦争末期の信州
■戦時中に着工され完成した飛行場も
未完成に終わった佐久と異なり、戦時中に建設され完成をみた飛行場もあります。 長野県伊那市の上の原地区。田園地帯の住宅が並ぶ一角にコンクリートで作られた格納庫の基礎部分が残っています。 1944(昭和19)年に完成した「陸軍伊那飛行場」です。 伊那市創造館で9月1日まで開催中の特別展「ー伊那に眠る巨大な戦争遺跡ー 陸軍伊那飛行場とその時代」では、ここでも多くの子どもたちが建設作業に動員されたことなどを伝えています(特別展は9月1日まで 火曜休館 入場無料)
■「特攻隊員」が訓練
完成後、伊那飛行場では練習機による訓練が行われていましたが、やがて「特別操縦見習士官」が集められます。いわゆる特攻隊員でした。 特攻仕様の機体で訓練を重ね、終戦を迎えなければ8月17日に朝鮮半島に出撃する予定でした。 2000(平成12)年以降に行われた発掘調査で、飛行場の跡地から隊員たちが使ったとみられる盃などが見つかっています。 学芸員の浜慎一さん: 「もしかしたら特攻兵たちが最後にその盃を使ってお酒を飲んでいたかもしれない。私たちの暮らしている地面の下にこんなに大きな戦争遺跡が埋まっているんだということをそういった物から感じて欲しいです」
■相次いだ飛行場建設 本土決戦の準備に加え、背景には陸軍と海軍の対立も?
長野県内には戦前から長野と上田の2ヵ所に飛行場があり、戦時中に長野市長沼、佐久、松本、伊那で相次いで建設が始まりました。 1944(昭和19)年に出来た伊那飛行場に続いて松本飛行場も終戦の年に完成にこぎつけましたが、長野市長沼と佐久では未完成に終わっています。 明治大学の山田朗教授(日本近代史)は、長野県内で飛行場が相次いで着工された理由として、長野市松代に大本営など政府の中枢機関を移す計画と連動していた可能性があるとみています。 明治大学・山田朗教授: 「内陸に控えの航空戦力を確保しておき、本土決戦が最終段階になってもなるべく総司令部である松代に近い所の航空基地で最後の最後まで抵抗できるようにするという意味があったと思います」 内陸にある長野県の飛行場はほとんどが陸軍の管轄で、未完成に終わった佐久だけが海軍によるものでした。山田教授は背景に軍内部の事情もあったのではないかと考えています。