丸岡いずみ、まさか私が「うつ病」に。元気な自分を見失ったあの頃
丸岡いずみ、まさか私が「うつ病」に。元気な自分を見失ったあの頃
うつ病は、心の弱い人が落ち込んだまま戻れなくなる病気なのでしょうか。 2013年、厚生労働省は、それまでの4大疾病(がん、脳卒中、急性心筋梗塞、糖尿病)に精神疾患を加え、5大疾病としました。そこから10年が経過しましたが、精神疾患に対する社会の認識は、大きくは変わっていない印象です。 今回は、2011年にうつ病と診断された丸岡いずみさんと、日本精神神経学会専門医の吉岡鉱平先生をお招きし、うつ病の発症や診断、治療などについて対談していただき、丸岡さんがうつ病と向き合った中で得た気づきや支えとなったもの、現在の生活についても伺いました。 【動画で見る】<うつ病>丸岡いずみ「脳がショート」過酷スケジュールだった当時を振り返る
診断名が“うつ病”に変わり「一線を越えた」と感じた瞬間
吉岡先生 うつ病を経験されたのは約13年前と伺いましたが、現在の体調はいかがですか? 丸岡さん 元気です。うつ病になる前の状態に戻った感じですね。 吉岡先生 当時を振り返って、どのように感じますか? 丸岡さん 当事者になったからこそ分かったことがたくさんありました。それまでは「うつ病は心の病」と思っていましたが、全く違いましたね。「脳の病気」だと実感しましたし、専門の先生からも「今は、心ではなく脳の病気と考えられています」と伺いました。 吉岡先生 その通りですね。辛いことがあって憂うつになった経験は誰にでもあると思いますが、うつ病は、そういった状態とは全く違います。 診断基準だと「一日中、ひどく憂うつな気分を感じる」や「一日中、何をしても面白くないし、何かをしようという気持ちも起きない」など9つの症状が定められており、そのうち、最初の2つのどちらかを含む5つ以上が2週間以上続くと「うつ病」と診断されます。 丸岡さん うつ病にも種類がありますよね。 吉岡先生 大きく分けると「定型うつ病」と「非定型うつ病」の2つです。定型うつ病は、一度うつ状態になるとなかなか戻らない、朝に症状が強いなどの特徴があり、非定型うつ病は比較的若い人に多く、いいことがあると一時的に元気になる、過食や拒食といった症状を伴いやすい、抗うつ薬が効きにくいなどの特徴があります。丸岡さんが最初に感じた異変はどんなものでしたか? 丸岡さん 2011年、報道局の記者兼キャスターとして仕事をしていた頃です。 この年は100年に一度と言われるような出来事が多くありました。2月にニュージーランドで大地震があり、2週間ほど現地で取材をし、翌月の3月11日に東日本大震災が起こりました。翌日から現場に入り、飲まず食わずに近い環境でずっと取材続きでした。今度は4月にウィリアム王子の結婚式ということで、祝賀ムードのイギリスで、華やかな結婚式の取材を行いました。 目まぐるしく色々なことがありすぎて……。「脳がショートした」という表現が一番しっくりくる感じでしたね。 吉岡先生 その時はどのような症状が出ましたか? 丸岡さん 最初は頭に発疹が出ましたが「被災地にいて頭も洗えていなかったし」くらいに考えていました。落ち込むとか、やる気がなくなるといったことは一度もなく、むしろ報道記者としての使命感に燃えていました。 吉岡先生 うつ病は「過度なストレス」「度重なるストレス」「持続するストレス」が原因となりやすいのですが、これは体のストレスも含みます。人は、ストレスが溜まると自律神経系と内分泌系、免疫系のバランスが崩れ、全身倦怠感や頭痛、肩こり、動悸、腹痛・下痢などの消化器症状、湿疹などの皮膚症状などが出てきます。これらを総称して「自律神経失調症」と呼んでいます。この「自律神経失調症」がうつ病の前段階ですね。 丸岡さん 私も、最初は「自律神経失調症」と言われましたが、後に「適応障害」という診断に変わりました。 吉岡先生 うつ病と似たような状態でも、先ほどの診断基準を満たさない場合「適応障害」と診断されます。明確なストレスがあり、その原因が解消されると症状も改善するのがうつ病との大きな違いです。 丸岡さん うつ病は、段階を踏んで診断される場合が多いのですか? 吉岡先生 そうですね。最初からうつ病という診断がつくことはあまりありません。 うつ病と似たような疾患としては「適応障害」のほかに、「うつ状態」と「躁状態」を繰り返す「双極性障害」があります。躁状態の度合いによって1型と2型に分けられるのですが、とくに、軽い躁状態とうつ状態を繰り返す2型双極性障害は、うつ病と混同されたり、軽い躁状態は「うつ症状が改善した」と勘違いされたりするので注意が必要です。双極性障害はうつ病の一種と捉えられることが多いですが、治療は全く異なります。 丸岡さん 治療法が全く違うというところがポイントですね。 吉岡先生 丸岡さんは症状が出た後も、仕事を続けていましたよね。 丸岡さん はい。ウィリアム王子の結婚式を取材した後、震災後3ヵ月の特番のためにまた被災地に入りました。そこで海上自衛隊による捜索活動を取材することになり、護衛艦に泊まり込んで行方不明者の捜索・引き上げ作業に密着しました。私自身、殺人現場の取材などはしていましたし、事前に海上自衛隊の人からもレクチャーを受けて心の準備はできていたつもりでしたが、現実はそれ以上でした。日々、緊張感とショックの連続で、夜は夜で、同室のディレクターが金縛りに苦しみ「ぎゃー!」という叫び声で目が覚める……、といった日々でした。そういう中で走り続けていました。 吉岡先生 すごい経験をされましたね。その後何か症状の変化などはありましたか? 丸岡さん はい。異変を感じたのは夏頃でした。当時政権を担っていた民主党の代表選挙を取材していたのですが、8月なのにカイロを貼っても寒く、思考がフリーズするような感覚もあり、原稿が読めるか不安になり「山」「川」といった漢字にもふりがなを振りました。その時「一線を超えたな」と感じ、すぐに上司に掛け合って翌日からお休みをいただきました。 吉岡先生 ご実家で過ごされていたのですか? 丸岡さん はい。大学院で心理学を学んでいたので、精神疾患についてある程度の知識はあり「希死念慮が出るかもしれない」と思いました。高いビルがあり、電車があちこち走っている東京にいてはダメだ、田舎にいたほうが自分の身を危険に晒すリスクは減ると考え、実家に帰りました。 吉岡先生 最初は薬を飲まなかったと聞きました。 丸岡さん ずっと薬とは縁のない生活を送っていて、会社の健康診断もオールA、頭痛薬すら飲んだことがなかったので、不安で……。心理学の勉強はしていても、医学・薬学の知識はなかったので「心の病気に効く訳ない」「依存してしまう」という思い込みもあり、大学院で学んだ「認知行動療法」で治そうと思っていました。当時は「精神科の薬を飲む」ことに偏見もありましたね。 吉岡先生 その後、うつ病と診断されたのですよね? 丸岡さん はい。夕方の帯番組に出演していたのに突然姿を消したので、世間が騒ぎ出し「実家に帰っているらしい」という話が広まりました。メディアが地元に押し寄せ、週刊誌に写真が掲載されてしまいました。私としては、一番弱っていて、一番見られたくないところを撮られて世に出てしまったことや、思いこみなどではなく実際に尾行されていたことがすごくショックで、精神的に追い詰められてしまいました。 その時、主治医から「第2ステージに入ったね」と告げられ、診断名がうつ病に変わりました。 吉岡先生 どんな気持ちでしたか? 丸岡さん やっぱりそうか、という感じで、大きなショックはありませんでした。「そうだろうな」という納得感でしたね。 それでも薬は飲まず、入院も拒否していたのですが、ある時に過換気症候群になってしまい、入院することになりました。