歌麿や写楽を世に送り出した“名プロデューサー”…大河ドラマ『べらぼう』蔦屋重三郎ってどんな男?
センスや教養が必要だった
橋本 新しい流行が生まれる街だったんでしょうか? 鈴木 最先端の流行が持ち込まれて、いち早く大きな風になって、江戸の市中に吹き下ろすイメージですかね。「自分は最新のカルチャーを知っている」ってアピールしたい連中が集まっていたんです。それに、当時の吉原は、幕府の役人や地方のお偉いさんをもてなす接待の場でもあった。だから遊女をはじめ吉原で働く人間たちには、そういった人たちと渡り合えるだけのセンスや教養が必要だったわけです。 橋本 その影響を、蔦重さんも受けたでしょうね。 鈴木 そう。それが蔦重を理解するための大前提です。吉原の人間は、いま世の中で何が起きているのか、いつもアンテナを張って情報収集をしておかないと商売ができない。教養がある武士のお客と一緒に、俳諧を詠んだりもしなきゃいけない。そんな中で揉まれて、彼も流行をキャッチする能力や知識を身につけていったんでしょう。 橋本 吉原で育ったからこそのセンスなんですね。 鈴木 そうです。しかも、当時の江戸は文化的に成熟していた時期でした。タイミングもよかったと思います。 橋本 ちなみに、ご両親はどんな人たちだったんですか? 鈴木 お母さんはおそらく吉原の出身で、お父さんは吉原に働きに来た尾張の人間のようです。蔦重が7歳のときに2人が離婚して、喜多川(きたがわ)家の養子に入っています。「蔦屋」というのは喜多川家の屋号なんですね。その程度の断片的な情報しかありません。
「吉原細見」で安定したビジネスを確立
橋本 蔦重さんは若い頃、貸本屋をやっていたそうですが、何かきっかけがあったんでしょうか? 鈴木 史料がないのでわかりません。たぶん、「本が好きだから本に関わる仕事をしよう」って、シンプルな動機だったんじゃないかな。吉原って、貸本屋稼業にはとても適した場所だったんですよ。 橋本 なぜでしょう。 鈴木 まず、人口密度が高いから、効率がいい。しかも、遊女たちは本をよく読むんです。どうしてかというと、教養がないと仕事にならないから。お客と渡り合うために、時間のあるときはずっと読書をしていたんですね。だから、ズラリと並んだ遊女屋を毎日歩いて回るだけで、楽に商売が成立するわけです。 橋本 彼女たちがどんな本を読んでいたのか、気になります。 鈴木 たとえば浄瑠璃や長唄といった芸事の本ですね。遊女はそれなりに芸事もできないと務まらないんです。 橋本 貸本屋は誰でも始めることができたんですか? 鈴木 当時の史料は残っていないんですが、少し後の時代の記録によると、貸本屋の元締めがいたようです。みんなが好き勝手に始めると食い合って商売にならないので、元締めがエリアを差配していた。蔦重はそこで利権を持っていたんだと思います。彼のおじさんは駿河屋市右衛門(するがやいちえもん)っていう吉原の顔役だったので、そのサポートもあったはずですね。