歌麿や写楽を世に送り出した“名プロデューサー”…大河ドラマ『べらぼう』蔦屋重三郎ってどんな男?
大真面目にくだらないことをやる
橋本 そんな高貴な人たちが通俗的なことをしているなんて、その発想がとても面白いです。 鈴木 要は、遊びなんだよね。おかしければいい、楽しめればいいって感じ。ただし、孔子の『論語』であるとか、知識がないと書けない内容でもある。教養をバックに、大真面目にくだらないことをやるのが当時のお洒落だったわけですよ。 橋本 くだらないように見えて、とても成熟した表現だったんですね。 鈴木 黄表紙(きびょうし)なんかも、実にくだらなくて面白いので、ぜひ読んでみてもらいたいですね。黄表紙というのは大人向けの絵本です。絵本はもともと子ども向けのものだったんだけど、あるとき恋川春町(こいかわはるまち)という人がパロディ本を作った。子ども向けの絵本に大人の笑いをぶち込んだんです。「これは面白いじゃないか」って話になって、次々と黄表紙が出版されるようになっていった。 橋本 そこに蔦重さんも参入したんですね? 鈴木 はい。そうやって版元が競い合うように洒落本や黄表紙を作るようになったときに、蔦重は抜群の手腕を発揮したんです。つまり、腕のいい作者や絵師をがっちり抱え込んで、彼らに存分に才能を発揮させた。そうやって時代の先端を行く文化を生み出していくことになる。
ブランド戦略で最先端の本屋へと躍進
橋本 蔦重さんのところには、どうして人が集まってきたんでしょうか? 鈴木 食い詰めた連中が、たくさん転がり込んできていたんですよ。歌麿もたぶんそうです。やんちゃしたか何かで家を出て、蔦重のところで厄介になっていたんじゃないか。歌麿の才能に気づいた蔦重が仕事を用意してあげて、実力を伸ばしていったんだと思います。曲亭(滝沢)馬琴や十返舎一九もそうだし、さっき紹介した唐来三和も、やっぱり同じです。 橋本 唐来三和は『三教色』を書いた人ですね。 鈴木 もともと武士だったのがドロップアウトして、蔦重のところで世話になっていた。「ゴロゴロしてるなら何か書いたら?」って勧められたんじゃないですかね。蔦重は、とにかく作者たちを遊ばせるんです。そうやって彼らがいい気分になって、調子に乗って作った斬新な作品を、世の中にどんどん出していく。すると、最先端の本屋だっていうイメージが江戸中に広まる。新し物好きの人間が本を買いに来る。そういうブランド戦略をとっていたんです。 橋本 ものすごい辣腕経営者ですね。 鈴木 それほど資金力は大きくないのに、これだけ後の世に残る作品を生み出しているのは、戦略が優れていた証拠ですよね。初期の浮世絵にしても、蔦重が発掘して育てた作者がかなり多いんです。 橋本 クリエイターからの人望は厚かったでしょうね。 鈴木 私は橋本さんの業界のことはよく知らないんだけれども、役者さんたちに「いいプロデューサーに見出されたい」っていう感覚はあります? 橋本 そういう感覚の人は少なくないと思います。 鈴木 江戸時代の出版業界も同じです。「蔦重のところから本を出したい」って人がどんどん集まるようになった。