「ビザはもらえないしバスの運転手は戻ってこない」日本の常識が通用しない文化で実感した“ラテンアメリカ文学的世界”のリアルとは? 池澤夏樹と星野智幸が語る【第2回】
刊行後、途切れることなく読書界を賑わせ続けているガルシア=マルケスの代表作『百年の孤独』だが、刊行以来50年間、読破者がうなされたように語り続けるのはなぜなのか。本作に衝撃を受け、新聞社を辞めてガルシア=マルケスが執筆の本拠地としたメキシコ留学に旅立ってしまったという星野智幸さんと、日本で翻訳される前に英語で本作を読み、以来「追っかけ」のような読者になったという池澤夏樹さんが語り合った。 (全6回の第2回、構成・長瀬海) *** 池澤 メキシコ暮らしはどうでしたか? 星野 『百年の孤独』ほどではありませんが、それに近い世界でした。めちゃくちゃなんですよね。僕は日本の感覚や日本の常識が通用しない世界で生活をしたいと思って留学をしたので、見事に叶えることができたんですが、それにしてもすごかった(笑)。シャワーを浴びていても石鹸をいざ流そうと思ったら急に水が出なくなる、といったことは日常茶飯事です。辛かったのはビザの申請です。語学学校に通っているとビザがもらえるというので申請をして内務省へ受け取りに行くんですが、なかなかもらえない。何度行っても、あともうちょっとでできるから来月また来なさいって言われるんです。同じことがずっと繰り返されて、マルケスの「大佐に手紙は来ない」はまさにこのことなんだなと思いました(笑)。 一度、長距離バスに乗っていたら荒涼とした丘の中腹でエンジンが止まってしまったことがありました。なんだろうと思ってたら、バスの運転手が他のバスに乗ってどっかに行っちゃうんですよ。すると乗客たちが持っていた食べ物を持ち寄って、外で楽しそうに食事会みたいなことを始めたんです。こっちは何時に着くんだろうとか、このあとどうなるんだろうって戸惑っているんですが、みんなそんなこと気にしない。ああいう日常を標準の感覚として持っているんですよね。あぁ、ここで生活をしていればこういう世界がリアリズムの一部になるんだなと、身をもって感じました。大変なことはたくさんあるけど、気が楽だなと。池澤さんもいろんなところで生活されているから、そういう経験はきっとおありだろうと思います。