<マジックの裏側・木内野球を語り継ぐ>2001年春優勝・小林一也さん/上 闘争心かき立てる口撃 /茨城
◇「お前らは陸稲だ」「4番不在」 2000年夏、結成された新チームの顔ぶれを見るなり木内監督は憎まれ口をたたいた。「お前らは陸稲(おかぼ)だ」。この代に多かった県西出身の選手を「優しくて勝負事に向かない。実が詰まっていない田舎者」と決めつけた。 主将に就いた小林への態度は特に厳しいものだった。打撃練習で柵越えを連発すると「打ちやすいところにばっかり投げたって練習にならねえ。打てないコースを認識させろ」と打撃投手を叱りつけた。あげくには小林にまで「ケージを出ろ。帰れ」。 「何でこんなに怒られるんだ」。主将の重圧も加わり、40度の熱を出して1週間入院した。退院してチームに復帰すると主将を外され、一時はレギュラーの座も失った。 やがて調子を取り戻し、秋季県大会では主軸に返り咲いた。チームも優勝して関東大会出場を決めたが、試合後の取材で木内監督は小林の耳に届くほどの大声で「うちは4番不在ですから」。 すべては選手の闘争心をかき立てようという口撃だった。 ◇ 思い出を振り返る小林が、ここで絶句した。涙をぬぐい「あのときの感情がぶり返してつい……」。 転機は間もなく訪れた。勝てばセンバツへ大きく前進する関東大会準々決勝の藤嶺藤沢(神奈川)戦。試合はまだ序盤だった。走者を三塁に置くピンチで、木内監督はスクイズの気配を察知して「外せ」とサインを送った。これが見事に的中したのだ。 それまで冷たい仕打ちに反発心を抱えていた小林は、三塁の守備位置から震える思いで見つめていた。「木内監督の下でやっていれば間違いないと思った。結局あのプレーで試合の流れが決まり、監督がセンバツに連れて行ってくれたようなもの。今も感謝しかありません」 ◇ 普段は厳しい木内監督だが、11月の明治神宮大会では温かい一面も見せた。宿舎の食事が冷たいことに腹を立て「俺が1000円ずつ出すから、温かいハンバーグを出せ。これじゃあ子供らがかわいそうだ」と掛け合ってくれた。 結局大会途中で宿を引き払い、その後は土浦からバスで神宮通い。ハプニングを重ねながら、監督と選手は徐々に信頼関係を結んでいった。(敬称略) ……………………………………………………………………………………………………… <第53回秋季関東大会> ▽準々決勝 常総学院 110001022=7 000000000=0 藤嶺藤沢 ……………………………………………………………………………………………………… ◇センバツ応援メッセージ募集 毎日新聞では、応援メッセージ「ガンバレ常総」を募集中。一部を紙面やインターネットで紹介します。メッセージは50~75字。住所、氏名、連絡先電話番号を添えて、ファクス(029・232・0438)▽メール(mito@mainichi.co.jp)▽はがき(〒310―0011水戸市三の丸1の5の18毎日新聞水戸支局「ガンバレ常総」係)――のいずれかでお寄せください。ペンネームもOK。 ……………………………………………………………………………………………………… ■人物略歴 ◇小林一也(こばやし・かずや)さん 1983年生まれ、下妻市出身。内野手。常総学院では1年次から主軸を担う。2001年センバツで優勝、同年夏も甲子園出場を果たした。青山学院大を経て05~07年は常総学院でコーチ。同年12月から専大松戸(千葉)でコーチを務めている。