「中指を立てることで忙しかった」歌人・上坂あゆ美インタビュー。馴染めなかった家族、集団生活
歌集の発売からエッセイの執筆へ。『地球と書いて〈ほし〉って読むな』
11月26日に新たに刊行されるエッセイ『地球と書いて〈ほし〉って読むな』(文藝春秋)は、幼少期の記憶や学校での生活、家族のこと、そして東京に上京してからのエピソードなど、上坂さんの半生を綴った自伝的な本だ。 『老人ホームで死ぬほどモテたい』に収録された歌が多数引用されており、生きているだけでハードモードなこの世界を、探究心とユーモアをもって切り開いていく上坂さんの姿がありありと映し出されている。 ―エッセイ『地球と書いて〈ほし〉って読むな』を書きはじめたのは、何がきっかけだったのでしょうか。 上坂:私は物書きのくせに小説をあまり読まなくて、昔からやたらとエッセイが好きでした。短歌の本を出したあと、エッセイのご依頼をいくつかいただいて、いろんなところで書いた文章と書き下ろしの文章をまとめたのがこの本です。 短歌だと載せることができないエピソードも多かったので、『老モテ』のエッセイ版みたいなことを目指してつくった本でもあります。短歌にはしづらいギャグっぽい話を入れたりもしました。 ―先ほど、自分自身のことを「真実を追い求める性質」とおっしゃってましたが、エッセイを読むと、幼少期からそういったお子さんだったということが伝わってきました。 上坂:とにかく、ありとあらゆる集団のなかでずっと浮いていましたね。 子供にとって集団の最小単位って家族だと思うんですが、私はその家族がわりかしヤンチャというか、姉は若干ヤンキーっぽかったり、ギャルで、父親はギャンブルに依存していたりとか。そんな家族のなかで自分はすごく異物だなという感じはずっとありました。 でも、昔はそうやって集団のなかで浮いていることをまったく気にしてなくて、ひたすら真実だけを求めて生きるような子供だったと思います。良くも悪くも人の顔色を気にしていないところもあったと思います。
家族の「逆張り」で生きていた自分を卒業できたのは「余裕が生まれたから」
―ご家族のことがエッセイでもたっぷり綴られていますが、特に注目したのはお姉さんの存在で……。コミカルに書かれてはいますが、乱暴だったり強引だったり、子供時代は本当に壮絶だったのではと思いました。エッセイを読むと、お姉さんの存在も、上坂さんのパーソナリティの形成に影響を与えたのではと思ったのですが……。 上坂:姉のことがすごく苦手だったので、昔は姉と真逆に生きることがアイデンティティになっていた時期がありました。姉は小学生くらいから彼氏みたいな子がいたので、そのせいで恋愛をずっと拒否したり、ヤンキーという文化そのものを否定したりとか……。 ―ただエッセイでは、東京に出て就職をして、表現者として活動されるなかで、「家族の中にいる自分」から飛び出て自分の個性と出会い直していく過程が綴られています。家族の「逆張り」で生きる自分をある意味卒業して、どうやって自分らしさと向き合っていったのでしょうか。 上坂:そうですね。家族についての恨みとかを短歌にしていくうちに、だんだんどうでも良くなってきた自分がいたんですよね。同時に、社会人になってからは結構闇雲に働いていたので、25~26歳くらいのとき、生まれて初めて経済的、時間的余裕ができてきました。 はじめて「余裕」というものを手にしたとき、やることがないと思ったんです。いままでは、家族や地元や世界に対して中指を立てることが忙しかったんですけど、それがなくなったとき、時間もお金も多少あるけど、やることがない。そうすると、「より良い人間になる」こと以外に人生でやることってないんじゃないかと思ったんです。 じゃあ自分はどうやったらより良い人間になれるのか? と考えたとき、「いや、さすがに家族を憎みすぎだな」と思って。 たとえば、家族が全員陽キャのパリピみたいなノリだったので、逆張りをした末に、一匹狼でいることが正しいと思いすぎていました。全然友達がいなかったんですけど、いなかったというか、私が拒絶してたというほうが近くて。自分自身を変にラベリングしていました。 「多くの十代にとっては、家庭と学校が世界のすべてだ。家庭でも孤独で、学校で皆と馴染むことができなかったため、私は世界のどこにも自分の居場所がないように感じていた。マジョリティに迎合できなかった人間は、マジョリティを憎み反対の立場を取ることで、なんとか自分の居場所を得ようとすることがある。だから「家族と真逆に生きる」ことがいつしか私の生存戦略となり、同時にアイデンティティでもあった。」 - 『地球と書いて〈ほし〉って読むな』P116 上坂:10代の頃はそうしないと生ききれなかったんですけど、呪いを解こう、必要以上に忌避してカテゴライズして勝手に嫌うのをやめよう、出会い直そう、みたいになりました。 だから、いま経済的や時間的余裕がない人に対して、同じことをするべきだとはまったく思わないです。私がたまたまそのタイミングで自分や家族と向き合う余裕を得ただけの話だと思います。 人間って、結局余裕がないと人に優しくできないんじゃないかという持論があるので、「いい人」になるのは余裕ができてからでいいと思います。 ―短歌やエッセイの執筆を通して、ご家族を見る目線にも変化はありましたか? 上坂:そうですね。短歌や文章を書いていなかったら、ここまでちゃんと向き合うことはなかったかもしれません。新刊のエッセイを書いた後に姉から連絡があって、3時間半くらいたっぷり喋ったんですけど、これも最悪ネタとして書けるなと思ったし、喋ったほうがより真実に近づくだろうとも思いました。 結論としては、やっぱりあんまり好きじゃないかなということがより鮮明になったんですけど……(笑)。でも、同時に、私は姉のことを無敵で恐れがなくて自己肯定感抜群な人だと思っていた節があり、作品のなかでもそう書いているんですが、姉も姉で悩みがあり、生きづらさがあるのかもしれないという新しい解釈を得ました。 ―尊敬できる上司との出会いなど、社会人になって新しい人や価値観に出会うことで、上坂さん自身も変わっていく様子が素直な言葉で綴られています。それがすごく素敵だと思いながらエッセイを読んでいました。最後に、上坂さんの声を待っている人に対して、ぜひ一言いただけたら嬉しいです。 上坂:いつも最後に何か伝えたいことをと言われるたびに、毎回「できるだけ死なないでください」って言っています。結局私がここでどんな綺麗事を言っても、明日を頑張って生きなきゃいけないのは皆さん一人ひとりだから、何もできないよというのが前提にはあります。 結局今回の本も過去の自分が知りたかったことばかり書いています。あのときわかっていたらもっと生きやすかったのにという話を集めただけで、やっぱり私はどこまでいっても自分のために書いている。 皆さんが救われたり、いいと思ってくださったりするのはその結果論でしかなく、それが真実だと思います。ただ自分のPodcastを聞いてもらったり、本を読んでもらったりすることによって、その人の人生が少しでも良くなったらいいなと思っています。
インタビュー・テキスト by 生田綾/ インタビュー by 南麻理江 / 撮影 by 石原大輔