「中指を立てることで忙しかった」歌人・上坂あゆ美インタビュー。馴染めなかった家族、集団生活
「自分が美しい、面白いと思っているものが如実に歌に出る」
『老人ホームで死ぬほどモテたい』は、18歳まで過ごした静岡県沼津市での家族との暮らしや学校生活、そして東京に上京してからの人生をユーモラスに歌い上げた短歌集だ。 そのなかでも、不倫やギャンブルをやりたい放題の父、豪快で腕っぷしの強い母、ギャルでヤンキーな姉について綴られた歌は、特に強烈な印象を残す。 ―上坂さんの歌のなかでも、家族について詠んだ短歌がすごく印象的でした。家族のことを歌にするようになったのはどんな経緯からでしょうか。 上坂:当時、新聞の歌壇コーナーで穂村弘さんや東直子さんが選歌をされていたんですが、そこで褒められた歌の多くが家族の歌でした。 何かを歌にするときって、やっぱり自分が美しいと思っているものや面白いと思っているものが如実に出てしまうんです。三十一音でどんな些細なことでも無限につくることができるんですけど、人に褒められたり評価されたりするような良い歌は、やっぱり自分の思いがグッとのっかっているもので。そこを考えていくうちに、家族とか学校とか生きづらさ的なモチーフのものが自然と多くなっていき、歌集にするときもそこを中心に構成していきました。結果的にたどり着いたという感覚です。 ―お母さんのことを詠んでいる、「下半身から血が出る日にもおにぎりを握り続ける母という人」という歌がすごく好きでした。 上坂:いま朗読していただいて、客観的に聞くと、何言ってんだ自分って思いますね(笑)。これは、わかりやすくて、そのまんまの歌ですけれど……。母という生き物にも当然女性だから生理は毎月訪れるし、うちは夫婦喧嘩が多い家だったんですが、父との諍いとかいろんなことがありつつも、どんな日でも母はおにぎりを握ってくれていたなっていう歌です。 「下半身から血が出る日にもおにぎりを握り続ける母という人」 ―短い言葉のなかに、ズシンとした重みがあると思いました。上坂さんの短歌を読んでいると感じるのは、生きづらさというテーマもですが、ご自身が本当に思っていること、本心の言葉が書かれているということです。嘘ばかりの時代に本当のことを言う人だから、そこに惹かれる人も多いんじゃないかと……。 上坂:なんでしょうね。最近、「事実」と「真実」ってちょっと違うと思うなかで、私は真実を追い求める性質の者なんですよね。 今日の朝何を食べたとか、何時に起きたとかそう言ったことは事実だと思うんですが、そうではなく、人が何に欲望するのかとか、この人の人格形成に1番影響を成しているものは何かみたいな、重要なファクターみたいなものこそ真実味が高いと私は思っていて、そういうことを考えたり知ったりすることがめちゃくちゃ好きなんです。 自分が面白いと思うことが必然的に真実味が高いものになっていて、そのまま歌をつくったらそうなった、ということなんだと思います。 「昨夜未明急に倒れてそのまま 愛する妻の粥を食べながら」 「やりたいことやってただけでそんなに悪い人ではなかったと姉」 「やりたいことやった結果として生まれているわたしのやりたいことは」 「葬式は少人数で催されフィリピンの地で父は眠った」 - P42-47 「海物語」の章では、母との離婚後にフィリピンに移住し、フィリピンで亡くなった父への鎮魂歌が収録されている。