「仕事と家庭」両立しようと疲弊する人の根本原因 禅僧が解説「疲れや不安を手放す」生き方
不安があるのは、生きている証拠。また不安は、避けるべき危険を察知するためのサインの役割も果たしているもの。つまりそれは人間が生まれ持った習性であり、私たちが生きるために必要なものでもある――。 曹洞宗徳雄山建功寺の住職である『考えすぎないコツ:「気づいて」「ほどいて」「放っておく」人生を軽くするシンプルな本質』(枡野 俊明 著、東洋経済新報社)の著者は、このように述べている。 ■不安は雪だるまに似ている
端的にいえば、不安や悩みのない人はいないということだ。とはいえ、不安を必要以上に大きくしてしまう人と、小さくとどめておける人がいるのもまた事実。著者によればそれは、「不安を転がす人」と「不安を転がさない人」との違いなのだという。 不安というのは、雪だるまに似ています。はじめは、手のひらにのる程度の小さな雪玉かもしれません。しかし、それを雪の上で転がしているとみるみる膨らんで、両手でも抱えられないほどの大きさになる。そこがもし坂道だったら、人間ひとりの力では、もう止めようがありません。(「はじめに」より)
不安もまた同じだということだ。 たとえば、誰かにメールを送信したあとに「相手が気分を害するようなことがなければいいが……と感じる」という程度の不安であれば、なんらかの対策を事前に講じれば済む。ところが考えすぎる傾向にある人たちは、際限なく悪い方向に考え続けてしまう。つまり、これが「不安を転がしている」状態なのである。 著者はその点を踏まえたうえで、「いま、この瞬間」を生きるべきだと主張している。
不安の出どころについて考えてみてください。不安とは、今よりも少し先の未来を思い煩うから生じるもの。現実には何も困ったことは起きていないのに、「ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう」と余計な気を回すから不安になるのです。(「はじめに」より) だが、現実問題としてそういった不安に実体はない。いわば妄想や思い込み、取り越し苦労でしかないということだ。実際のところ人生とは思いのほか「なんとかなる」ものであり、際限なく湧き出る不安が的中することはほとんどないのである。「いま、この瞬間」をひたすらに生きることが大切なのだ。